9.強盗団

二月も下旬になってめっきり日の出が早くなった。だが今朝の天窓には明るさがない。そのせいか、寒さもことさらに感じられる。Mの腕の中で弥生が身震いした。石鹸の香りが冷気に混じる。昨夜の楽しい入浴の記憶が凍える肌に満ち足りた気持ちを甦らせた。開放感が全身に拡がっていく。一か月振りに肛門栓を許されて眠ったのだ。違反を承知で入浴時に抜き取った肛門栓は、風呂を出るときにまた挿入されるはずだった。しかし、弥生は再び四つんばいになることを命じなかった。二人は自由な身体で寄り添って風呂を上がり、拘束されずに眠りについた。弥生が何事かを決意したと、その時Mは確信した。不幸の予感が肌を掠めたが、身近に寄り添う人格だけを信じようと思った。どんな状況にあっても、自らの責任と人格だけを信じて生きていくしかないと、改めて思い定めた。

「起きましょう。寒すぎるわ」
弥生が明るく声を掛けて毛布をはね飛ばした。冷気が全身を包む。震えながら起き上がった二人が素っ裸で向き合い、ウオームアップのマッサージを始める。肛門栓と鎖で拘束されていた昨日までと違い、擦り合う手に力がこもる。十分ほど擦り合って肌がほんのり赤くなったころ、弥生がMを広間に誘った。日課になっている食堂の雑巾掛けを始める素振りも見せない。

「今日から服を着ましょう」
当たり前のように言った弥生の声が耳を打った。心の底から喜びが沸き上がってくる。二人で広間の鉄棒に吊したトレーナーを取って、それぞれが素肌の上に着た。やっと自由な人間に戻れた感動がMの全身を満たす。たとえ一年続いたとしても、他人に裸体を強制されることに慣れることはできない。黒いトレーナーに身を固めた二人は両手を握り合って目を見交わした。うなずき合ってきつく抱き合う。それぞれの責任と人格で抱き合っている実感が込み上げてきた。

「武装しましょう。Mにも付き合って欲しい」
弥生が身体を離し、まっすぐMの目を見て言った。
「付き合うわ」
短く答えたMに迷いはなかった。弥生が武器を持つことを決断したのだ。善悪の彼岸を越えた答えが求められていた。Mの責任と人格が付き合うか否かを決定するだけだった。友愛という言葉がまた脳裏を掠めた。弥生が窓を開けて大きく雨戸を開け放す。目の前に一面の雪景色が拡がっていた。湿気を含んだ重い雪で松の枝が大きくたわんでいる。やっと咲き始めたハンノキの花にも雪が凍り付いている。音の途絶えた静寂の光景が白く一面に拡がっていた。

「試射にちょうどいいわ」
短く言って、弥生は食堂に向かった。Mが横にぴったりと並ぶ。昨夜、飛鳥が向かっていたテーブルの上には、大型のアタッシュケースが二つ置き去りになっていた。銃器を置き去りにして気に病まない、なんとも不用心な組織の不安定さが目立った。しょせん子供の遊びなのかも知れない。だが、弥生が新しい地平に子供たちを引き上げるのだ。弥生は二つのケースを開き、黒々としたベレッタと茶色のショルダー・フォルスターをMに手渡す。Mの右手でずっしりと重いベレッタが鈍く輝いている。弥生が十五発の実弾を装填したマガジンを銃把の底に滑り込ませた。Mも見まねでそれに従う。カチッと乾いた音がして装弾が完了した。二人は黒いトレーナーの左肩にベレッタと予備のマガジンを入れたショルダー・フォルスターを吊った。よく引き締まった大柄な姿態に大型拳銃がよく似合う。しばし互いの姿に見入って楽しそうに笑った。どこから見ても映画の画面から抜け出して来たような精悍な戦士に見えた。二人は胸を張って広間の窓辺へと向かった。歩みに連れて、ただ一か所拘束が残った陰部が違和感を訴える。だが、ほどよい緊張がリングで繋ぎ合わされた陰唇から全身に発信され、身が引き締まる思いさえした。リングを外す必要はなかった。かえって戦士の自負心を高めている。窓辺に立った弥生が窓ガラスを開き、フォルスターからベレッタを引き抜く。安全装置を親指で押し上げて外し、スライドを引いた。ガシッと力強い音がして弾丸が薬室に装填された。ベレッタを握った右手を伸ばし、左手を銃把に添える。両足を広げて腰を少し落とし、重心を下げる。五メートル先に垂れ下がった太い松の枝に狙いを定め、右手を握るようにして引き金を引いた。

ズガガガッーン

連続して銃声が轟き、雪景色に吸い込まれていった。瞬く間に十五発を連射した銃口から青い煙が薄く立ち上っている。何発の銃弾が当たったか分からなかったが、五センチメートルほどの太さがあった松の枝が無惨に折れて垂れ下がっている。頬を紅潮させた弥生が横に退き、場所を空けた。銃声を聞きつけて駆け付ける大勢の足音が背中に聞こえる。Mは騒音を無視して無造作にベレッタを構えた。弥生が狙った太い枝の根元に照準をつける。

広間に駆け付けてきた十人の耳を銃声が圧した。パニックになった耳の代わりに、大きく見開かれた二十の目に一切の情報を伝える。Mの両手に握られた大型拳銃の銃口から断続して小さな炎が躍った。銀世界の中にぶら下がった松の枝の根元に的確に銃弾が吸い込まれる。十五発の連射が終わると同時に、太い根元を撃ち砕かれた松の枝が地上に落ちた。

「戦争が始まるのよ」
うっすらと煙の上がる銃口を下げ、広間を振り返ってMが告げた。
「そう、Mの言うとおりよ。シュータに集結したすべての者が、各人の滅びを彩るために信仰をかけた戦争を始めるの。もう遊びは終わったわ。新しいステージがこれから始まる」
弥生の透き通った声が静かに雪原を流れていく。厳粛な寒さが空間を圧していった。

「よしっ、やろう」
ピアニストの決断の声が広間に響いた。
「それぞれが目的意識を持って、ともに戦えばいい。結果は努力の質と量に比例してついてくるだけだ。二十億円に賭けてみよう」
ピアニストが言葉を続けた。初めて手を汚す決心をしたのだ。マラソンの他にも先頭を切れることを証そうとしている。横に立つ弥生の身体が微かに震えた。感動の震えに違いないとMは思った。

「やっとピアニストが決断をしてくれた。私も来たかいがあったよ」
喜びを押さえた低い声が流れた。スーツをきっちり身に着けた飛鳥が、青年たちの後ろから歩み出た。ピアニストの前に立って言葉を続ける。
「今のところはインターネットを使った攪乱が功を奏しているようだ。マークされていない幹部が都会で発信を続けているため、警察の目は都会を向いている。でも暖かくなれば山に人が入る。これだけのアジトが見付からないはずがない。必ず警察が来る。投降するか、撃ち合いになるしかない。もうピアニストたちに行き場所はないんだ。私の提案だけが未来に希望を繋ぐ。理解してもらって本当にうれしいよ」
もったいを付けた飛鳥の話を、睦月のかん高い声が遮る。

「オシショウ。シュータが強盗を働いてもいいのですか。二十億円も強奪するんです。悪いことに決まってる。オシショウ、私たちは善を選ぶべきでしょう。教えてください」
睦月の横に立った修太が大きく首を縦に振った。シュータの青年たちも一様にうなずく。
「オシショウ、教えてください」
黙ったままピアニストの横に立つオシショウに、修太が悲痛な声で尋ねた。オシショウが腕組みを解き、長い髭で縁取られた口を開く。

「私は常々教えておいたはずだ。信仰に善悪はない、ひたすら滅びを惜しまれる道を進めとな。信仰の薄い者だけがいまわの際で迷い、戸惑うのだ。ひたすら自分を鍛え、社会を鍛えるのだ。盗人のどこが悪い。人殺しのどこが救われない。善悪の彼岸から見れば、すべてが逆立ちして見えることがある。それが信仰なのだ。それが滅びだ。惜しまれる努力だけに希望がある」

Mは詐欺師の臭いをまた嗅いだと思った。空しい説法で消極的にピアニストを支持したに過ぎなかった。どんな思惑がオシショウの長い髭の下に隠されているか分からなかった。隣にいる弥生はオシショウの演説に耳を傾けようともしない。まなじりを決した目で、じっとピアニストを見つめている。弥生の信仰は、師を越えた時空に昇華してしまったようだ。黙り込んでしまった修太たちに追い打ちを掛けるように飛鳥が口を開く。
「これで決まった。私のプロジェクトを進める以外に未来はない。だが、詳しい計画を教える前に、一つ条件がある。プロジェクト・リーダーがピアニストでなければ、私は下りる。子供とは一緒に組めない」

修太の顔が真っ赤に染まった。シュータに全責任を負わせるといった飛鳥の要求がエスカレートしたのだ。手を汚すことのなかったピアニストが追い詰められていく。テロリストの顧問が、一挙に強盗団の首領にならなければならない。

「僕がやろう」
簡単に答えたピアニストの声は明るかった。
「弥生。僕にも銃を持ってきてくれ」
声にはじかれたように、弥生が食堂に駆け込んで行った。頬を上気させて戻り、ベレッタを入れたフォルスターをピアニストの肩に吊した。Mはこれまで、愛が信仰に変わる姿も信仰が愛に変わる姿も見たことはない。確かな官能の揺らめきだけを信じてきた。しかし弥生の生き方は、まったく新しいステージにMを立たせようとしている。胸の底が妙に波立ってならなかった。

ズガガガッーン

ピアニストがベレッタを連射する轟音が響き渡る。真っ白な雪原に銃弾が吸い込まれていった。
昼になって溶けだした雪道を極月と文月がパジェロで下っていった。後ろの座席には一週間後の再訪を約した飛鳥とオシショウが収まっている。飛鳥の満足しきった笑顔が卑猥に見えるほど印象的だった。残った者は皆、精力的に簡易水道の修復に熱中した。翌日、皐月と水無月の二人がアジトに加わった。途端に作業がはかどる。目標が決まった組織は現金なものだ。四日後の夜明け前、卯月と霜月が仕掛けた爆薬が最後に残った巨岩をものの見事に破砕した。砕け散った破片を二日掛かって運び出し、水道が復旧した。蛇口から溢れる水に歓喜して六日振りの風呂を全員が堪能した。


三月になると、急に暖かな日が続いた。ハコヤナギの裸の枝で綿毛のようにふさふさした花が咲き始めている。飛鳥の計画に基づく現金強奪訓練も、全員で模擬演習に力を入れるまでになっていた。

「ダメッ、五秒も遅れている。やり直しだ」
ピアニストの叱声が草原に響いた。走ってスタート地点に戻ってきた霜月の巨体が肩で息をしている。新たにアジトに加わった水無月が荒い息づかいで戻ってくる。背中に背負ったザックが重そうだった。百三十メートルの全力疾走をもう三回も繰り返している。

「生還したかったら、もっと早く走れ。今のままでは二人とも爆風で死ぬ。ここで二人死んでも計画に支障はない。だが、生き残ろうという執念が何よりも大切なんだ」
ピアニストが二人を前にして苛立った声を出した。首から下げたストップウォッチが不規則に揺れる。まるで陸上競技のコーチのようだ。見守っている全員に心地よい緊張が伝わっていく。

二十億円の現金を強奪するための訓練が始まって一週間が経っていた。本番までもう十日もない。基本計画は飛鳥が持ってきたパソコンのシミュレーションどおりだ。全員が何回となく画面を見て、計画の流れを頭にたたき込んであった。シミュレーションの画面では、コンピューター・グラフィックで描かれた競艇場の縮尺図に沿って、時間を追って計画が進んでいく。さすがにハイテク・ゲーム機メーカーの逸材飛鳥が作ったシミュレーションだった。ゲームをしているのとまったく同じ感覚で強奪計画が頭に入る。テレビゲームで育ったシュータのメンバーにはぴったりの教え方だった。哲学的に善悪を考える必要もない。必要がないというより、ゲームの面白さが思考を越えていた。後はゲームで展開するシーンを実際に人がやってみるだけだった。

「弥生、M。最初の爆破シーンを二人に代わってやってみてくれ。霜月と水無月はよく見てスピードと要領を覚えるんだ」
ピアニストに命じられたMと弥生がスタート位置についた。二人の目の前の枯れ草に覆われた荒れ地が、スタートの合図とともに競艇場のコンクリート通路に変わる。Mはコンピューター・グラフィックで展開されたシナリオを脳裏に再現してみた。

突入班の霜月と水無月は、五秒間で地下通路に侵入するドアの錠を開ける。続いて二人で全力疾走を始める。七十メートルを走って直角に左に曲がり、三十メートル走る。すぐ立ち止まってエレベーターの横に爆弾をセットする。所要時間は三十秒間。また三十メートルの直線を全力疾走し、直角に曲がる。大きな爆発音が響き、すんでの所で二人は爆風をかわす。走りながらフォルスターからベレッタを抜き取り、侵入ドアの前に待機した三人と合流して警備陣を切り抜けるのだ。よくできたシナリオだったが、空しさが募る。何よりも生活感がなかった。エレベーターの速度を基準に作られた、ただのゲームに過ぎない。突入班には爆弾を破裂させる権限が与えられていないのだ。爆破は遠く離れた場所で、強奪班がリモートコントロールで操作する。突入班が首尾よく通路を直角に曲がることができずに爆風に巻き込まれたら、彼らにとってはゲーム・オーバーということだ。再スタートをするかエントリー・キャラクターを変えるしかない。だが、実際のゲームでは再スタートもメンバーチェンジもない。死者は見捨てられ、ゲームは続くのだ。柔軟性のない冷酷な計画と言えた。常に移り変わる現実に目をつむっているのだ。

Mは空しさを抱えて冬枯れの荒れ地を駆けた。ただ弥生に遅れないことだけを考えていた。爆発物をセットする演技で荒れ地にしゃがみ込むと、足元にタンポポの蕾が膨らんでいた。五センチメートルほど伸びた貧弱な茎を支えるために、大きな葉が円形に並んで地面に張り付いている。もうじき黄色の花が咲く。確実に時が流れ、春は近いのだ。Mと弥生がゴールすると全員が拍手で迎えた。霜月と水無月も手を叩いている。明るすぎる雰囲気がMを不安にさせる。慎重居士のピアニストまでやけに明るかった。

「さすがは弥生、余裕でセーフだ。見たとおり、爆弾のセットまでのスピードとセット後のダッシュが決め手だ。実際に爆弾をセットするときは緊張しきっているはずだ。繰り返し練習して慣れるしかない。エレベーターの動きには多少の余裕がある。でも最短時間に備えておく方がより確実だ」
ピアニストの説明が終わると霜月と水無月がスタート位置についた。四回目の演技が始まるのだ。

まるで映画のシーン撮りのリハーサルのような訓練が毎日続いた。皆楽しそうに出番を待ちかねているように見える。演出家のピアニストも張り切って指導を続けている。修太と睦月だけが、日を追うごとに暗くなっていった。すべての実権がピアニストに集中してしまったのだ。おもしろかろうはずがない。頼みの綱のオシショウは、気まぐれを言って飛鳥と一緒に街に下りてしまっていた。煙たいオシショウが山を下りることにピアニストは異存がなかった。かえって飛鳥に責任を分担させられることを喜んだほどだ。修太と睦月の孤立が一層深まっていった。出撃を三日後に控えた日の訓練で、二人はピアニストと衝突した。

修太と睦月は、強奪した二十億円を競艇本部ビルの四階から高所作業車を使って地上に運び降ろす役だった。クレーンの先に取り付けたゴンドラに乗った睦月が四階の非常階段の手すりを切り取る。続いて非常ドアから出てくる強奪班と協力して、現金の積み込みと撤収を行うのだ。強奪班はピアニストと卯月、弥生、Mの四人の予定だ。撤収までには二回のクレーン操作が必要になる。大切な仕事だが地味な役回りだった。アジトのリハーサルでは機材がない。重機の運転ができる修太だが、実際にない機械を操作する真似は苦痛に違いなかった。しかし、ピアニストは容赦をしない。繰り返し練習を命じて時間の短縮を図った。確かに、現金の運び出しと人員の収容を行う最も重要なポイントと言えた。

「修太、最初のクレーン操作の時間が掛かりすぎだ。もっと手順を整理して三十秒短縮しろ」
想定した車両の停車位置に一人で立ち、クレーンの操作をシミュレーションしていた修太の顔が真っ赤になった。
「クレーンもないのに、時間の短縮などできるはずがない。こんな訓練は無駄だ。俺はもうやめる」
怒りに満ちた修太の声が広場に響いた。肩を怒らせ、まっすぐログハウスに引き上げていく。
「ピアニストは横暴よ」
睦月が大声で叫んで修太の後に続いた。

「二人とも戻って、訓練を続けるんだ。敵前逃亡は懲罰だ。もう三日しかないんだぞ」
ピアニストの怒声を無視して二人はログハウスに向かう。蒼白になったピアニストがベレッタを抜き、二人に向けて二発撃った。銃声が谷にこだまし、修太と睦月の足元で土煙が上がった。二人の足がすくんだ。

「水無月、皐月、二人を素っ裸にして後ろ手に手錠をかけろ。二十四時間の懲罰を命じる」
ピアニストの興奮した声に驚き、指名された水無月と皐月が走り出した。二人ともピアニストが権力を掌握してからアジトに来たため、迷うことなく指示に従う。長身の水無月が小柄な修太と睦月の前に立った。皐月はそのままログハウスに向かい、懲罰に使う拘束具を入れたアタッシュケースを下げて戻って来た。まさか発砲されるとは思っていなかった修太と睦月は、銃声を聞いて初めて重大な過失に気付いた。確かに想定の場面では敵前逃亡だった。懲罰は免れないことと観念した修太が下を向いてうなだれる。睦月は鋭い視線でピアニストをにらみ付けた。
「二人とも服を脱いで裸になりなさい。ピアニストの命により二十四時間の懲罰を執行する」
威厳を持った低い声で皐月が命じた。組織担当の皐月には極月に代わる司法権があった。修太が命じられるまま服を脱ぎ、全裸になる。後ろを向いて背中に回した両手首で手錠が鳴った。
「睦月も脱ぐのよ」
再び命じられた睦月が、頬を赤く染めて口を開く。
「そこにいる弥生とMは反省の懲罰中よ。その二人が服を着ている。私たちだけ裸になるのは不公平よ。司法の権威が問われるわ」
引き合いに出されたMの背筋を冷たさが走った。忘れかけていた肛門栓の恐怖がまた甦る。

「それが事実なら、反省用の拘束具の鍵を司法担当が持っているはず。私は極月から何も引継いでいないわ。懲罰を命じられたのは睦月よ。早く脱ぎなさい」
事実関係を追求しない皐月の態度に、睦月は唇を噛みしめる。ピアニストの権威だけがアジトを支配していることに気付き、改めて愕然とした。睦月は悔し涙を流して服を脱ぎ、素っ裸になった。皐月が両手を取って背中に回し、冷たい手錠をかけた。

「二人とも縄で縛り上げて木の下に立たせるんだ。二十四時間晒し者にする。夜も広間で晒す」
ピアニストが残酷に命じて訓練の再開を告げた。水無月と皐月はそれぞれ縄を持って、修太と睦月の後ろ手を高々と縛り上げる。二人を松の木の下に追い立て、首に巻いた縄を枝に掛けて吊した。皐月がテラスから洗濯用の竹竿を持ってきて二人の足元に置く。睦月を広場に向け、修太をログハウスに向けて立たせ、両足を大きく広げさせて足首を竹竿に縛り付けてしまう。余った縄をナイフで切り、口に噛ませて猿轡にする。凄惨な二十四時間の懲罰スタイルが完成した。素っ裸で両足を開かされた二つの裸身が、裏表になって人型に縛られて晒されている。睦月の目から悔し涙が流れた。ふっくらと盛り上がった乳房の上下に厳しく縄が走り、乳房の谷間で無惨にも一つに結ばれている。縄目から飛び出した乳房を涙が濡らす。涙は突き立った乳首の先にも落ちた。後ろ手に高々と掲げられた手首に手錠が食い込み、耐えられぬ痛みが襲う。裸の尻が止めどなく寒さに震えた。睦月の後ろで修太の逞しい尻も震え続けている。暖かいとはいってもまだ三月に入ったばかりだ。このまま数時間も放置されれば全身が凍り付いてしまう。素っ裸で縛られたまま凍死する恐怖が二人に襲い掛かった。


午後八時四十五分に、Mは食堂の隅で起き上がった。弥生が見つけだしてきてくれたタイメックスの燐光時計で時刻を確認する。これまで一緒に寝てきた弥生の姿はない。今夜はMと弥生も屋根裏部屋の見張りに参加することになっていた。修太と睦月が二十四時間の懲罰を受けているため人手が足りないのだ。弥生はすでに、七時から九時の見張りについている。九時から十一時までがMの担当だった。

昼と同様、穏やかな夜だった。天窓から明るい月の光が落ちている。Mは黒いトレーナーを着て、ベレッタを入れたフォルスターを左肩に吊る。イギリスにいるという祐子の織ったスカーフを首に結んで大きく伸びをした。二か月近く続いた毎日の鍛錬のお陰で体が軽い。テーブルの上のマグライトを取り、光を絞って左肩の上で構える。足元を照らしながら素早い身のこなしで壁際まで進み、静かにドアを開けて廊下に出た。フォルスターからベレッタを抜き、右手で構えて玄関に向かう。屋内をチェックするのも見張り交替の時の職務だった。玄関ドアに異常のないことを確かめてから、Uターンして広間に向かう。廊下に当てた光が反射して、突き当たりの広間がぼんやりと明るくなった。鉄棒に繋がれた二つの裸身が闇の中に浮かび上がる。後ろ手に縛られ、立ったまま晒された修太と睦月の悲惨な姿だ。互いの肌の温かさで寒さを耐えさせるため、鉄棒に吊った縄には余裕がある。足も縛られていない。絶え間なく足踏みをし、素肌を擦り合わせて暖をとっている姿が不憫でならなかった。Mは二人の縄目を確かめる職務を放棄して右手の狭い階段を上った。畳三畳ほどの狭い屋根裏部屋では、中央に置いた肘掛け椅子に弥生が座っていた。

「交替に来たわ」
声を掛けると弥生が白い歯を見せて笑った。南を向いた窓が開けられ、月の光が差し込んでいる。
「早いわね。退屈な仕事よ。夜は暗くて外の様子が見えないの。こうして窓を開けて聞き耳を立てていればいい。異常な音がしたら窓辺に行って双眼鏡でチェックするの。でも暗視装置が付いていないからほとんど見えないわ」
確かに開け放した窓の前にアルミの脚立が置かれている。Mは窓に近寄って脚立に上ってみた。外に身を乗り出してみても、向かいの山の稜線と月の光に輝く谷川の流れしか見分けることができない。確かに耳だけが頼りの退屈する仕事のようだった。二時間の手持ち無沙汰を思いやるとうんざりしてしまう。申し訳なさそうに弥生が声を掛ける。

「それでは交替をお願いするわ。椅子とテーブルは自由に使ってね。それから毛布もね」
「お休み、弥生」
「Mが帰ってきたとき私が眠てしまっていても、きっと起こしてね」
はにかんだ声で言って弥生が立ち上がった。静かに階段を下りていく。Mはテーブルの上にマグライトとベレッタを置き、椅子に深く座って毛布を身体に捲いた。五分も経たないうちに静寂に慣れた聴覚が麻痺して睡魔が襲ってくる。椅子から立ち上がって東側の窓へ行き、手を伸ばして窓を開けた。脚立を運んでいって高い窓からのぞくと広場が見渡せた。眼下には広間の前に張り出したテラスが見える。風のない穏やかな夜だが、南と東の窓を開け放したため外気が流れ込む。肩から毛布をかぶっても眠り込まない程度の寒さになった。再び椅子に座って十五分ほど経ったとき、裏口のドアが開く音を聞いたと思った。だが、厚い鉄製のドアが、たやすく外から破られるはずはない。耳に全神経を集めて様子をうかがうことにした。二分ほどして東の窓から小さな乾いた音が聞こえた。続けてまた同じ音が響いた。荒れ地に落ちた小さな小枝を踏み折る音だ。何者かが広場を歩いているに違いなかった。Mは立ち上がってテーブルの上のベレッタを握り、物音をたてないように脚立に上った。見渡した広場に人影はない。視線を落として真下を見ると、テラスの横の松の枝越しに二つの人影が見えた。青い月の光に浮き上がった二人は黒い服を着ている。人影は弥生とピアニストだった。口元まで上がってきた声を慌てて呑み込む。見てはいけないものを見たような、後ろめたい気持ちが込み上げてきた。脚立を下りて知らない振りをしようと思ったが、すんでの所で思い直す。下腹に力を入れてじっと二人を見下ろした。


「ピアニストはトイレに起きたんじゃなかったの」
「弥生を待っていただけさ」
テラスの前の闇の中で二人の小さな声が響いた。ピアニストと弥生は並んで立っている。二つの肩がちょうど同じ高さにある。弥生の肩先が微かに震えた。ぽっと赤くなっていく頬を月の光が照らしだした。うれしさを照れくささが追う。間近にあるピアニストの横顔を痛いほど意識した。もう一度言わせたいと思った。

「ピアニストの見張り時間はMの後よね。時間を間違えたのかも知れないわね」
闇に埋もれた広場を見つめたまま、意地悪な言葉が口を突いた。言ってからうろたえた弥生の頬が、また熱く火照った。
「そう、Mと交替する。でも弥生が先だ」
はっきりとした答えが聞こえ、冷たい指先にピアニストの手が触れた。伝わる温もりが全身にスパークしたときには手を握られていた。もう片方の手が肩に回され、きつく身体を抱き締められた。首筋に熱い息がかかる。がっしりした胸に抱かれた両乳房がピアニストの動きに伴ってしなやかに形を変えていく。徐々に乳首が固くなっていくのが分かる。張り詰めた緊張の隙間を心地よさが這う。ピアニストの舌がうなじから耳の下へと何度も行き来した。固く構えていた弥生の身体が少しずつ柔らかくなる。身体の奥で小さな火が点った。うなじに埋めたピアニストの顔が離れ、燃える目で弥生を見つめた。弥生の視界にはピアニストの瞳しか映らない。弥生の瞳も燃えている。すかさずピアニストが口を奪った。きつく閉ざした唇を舌が這う。弥生がそっと口を開けると長い舌が侵入してきた。縮めた舌を探しだし上手に舌を絡ませる。甘い香りが口中に満ちた。突然下腹に固いしこりが触れた。ぎょっとして腰を引くと、すぐにピアニストが引き戻す。胸の鼓動が高まり全身が熱く火照った。はち切れるほど勃起したペニスが下腹をなぶる。股間が熱く火照ってきてリングで閉ざした陰門が濡れた。前に垂らした両手で、弥生は思い切ってペニスを握った。トレーナーの厚手の生地をとおして、屹立した硬い肉の柱が力強く脈打っているのが分かる。ピアニストの喜びを両手で実感したと思った。急に頭の中が真っ白になる。たまらなく素肌が恋しかった。トレーナーの中に両手を差し込み、熱く燃えるペニスを直接握った。猛々しい肉の柱が手の中にある。ピアニストを手中にしたとの思いが湧いた。込み上げてきた喜びに性器が疼き、陰門に愛液が溢れた。

弥生の背中に回わされていたピアニストの両手が腰に下りた。引き締まったウエストをまさぐってからトレーナーを一気に膝まで脱がす。白い尻が剥き出しになり月の光に輝く。続いて上着も脱がす。女の匂いが闇に流れ、上気した裸身が揺らめいている。ピアニストは弥生の前にひざまずき、何度も何度も股間を舐めた。二枚の陰唇を繋いだリングがもどかしくてならない。指先でリングの繋ぎ目を捜し出し、力を入れて輪を外す。微かな呻きが耳を打った。そっとリングを抜き取って闇に投げた。ピアニストもトレーナーを脱ぎ去る。美しい二つの裸身が月の光の中で抱き合い、もつれ合った。しばらくの間、激しく素肌を合わせあっていた二人が誘い合うようにテラスに上がった。手を取り合った二つの裸身が優美に舞い、選ばれた肉体を誇示するかのように官能の舞台に上がる。

弥生は冷え切ったテラスの床に横たわった。冷気が背と尻を襲うが気にならない。かえって火照った裸身が気持ちよいくらいだ。心持ち両膝を立て、股間を大きく開いてピアニストを迎える。逞しい裸身が弥生の裸身を覆った。リングの外れた陰門を、猛々しく勃起したペニスが意地悪くなぶる。両の乳房がもみしごかれ、舌が吸われた。ピアニストの愛撫は執拗に繰り返される。じれったさと官能の高まりに弥生は身悶えする。押し殺した喘ぎが絶え間なく口から洩れた。弥生は両手を股間に伸ばし、陰部をなぶるペニスをつかんだ。べっとりと愛液で濡れた肉の棒が抗って手をすり抜け、肛門を狙う。ヒッと悲鳴を上げ、首を左右に振って目を開いた。闇の中で笑ったピアニストの白い歯が見えたような気がした。ペニスの狙いが変わり、ピアニストが腰に体重をかけた。陰門を割って巨大なペニスが体内に入ってきた。弥生がきつく目を閉じる。ピアニストが慎重に腰を使った。下半身を占有したペニスが複雑に運動する。高く低く、喜びの呻きと喘ぎが口をついた。何回となく官能が高まり、極まりに向けて駆け上がる。その度にピアニストが意地悪く腰を引いて弥生をかわす。弥生の腰も官能を追って淫らに動く。裸の尻が悩ましく床を這った。

「ウゥー」
長く尾を引いた呻きが口から漏れ、弥生の裸身が弓なりになった。初めて知った官能の喜びだった。ゆっくり潮が引いていくような高まりの名残を楽しみながら、弥生は目を開いた。松の梢越しに妙に青白い月が輝いている。視界の隅に、開け放された屋根裏部屋の窓が見えた。人影がたたずみ、見下ろしている。

「Mっ」
弥生は声に出さずに叫び、見下ろすMの視線を全身で受け止めた。引いていく官能が寄せ帰す波のように再び高まる。

「Mっ」
もう一度心の中で叫び、弥生は二度目の高まりを迎えた。月の光を浴びたMの顔が微笑んでいるように見えた。


屋根裏部屋の椅子にMは座っている。弥生とピアニストの性の営みを最後まで見届けてから十五分経った。今も興奮が残っている。美しく感動的な性だったとMは思う。Mが知ることのなかった昔ながらの官能を、弥生とピアニストが演じきったと思った。だが、滑稽なほど長い時間が流れたのだ。私なら退屈するなと思い。口元に苦い笑いが浮かんだ。素っ裸になって走り出したい衝動を必死にこらえる。ピアニストが見張りの交替に来るはずだった。階下の広間から物音が聞こえ、階段を上ってくる足音が響いた。ピアニストは五分の遅刻だ。

「M、遅れて悪かった。修太と睦月を縛り直すのに手間取ってしまったんだ。修太には手を焼かされる。懲罰中なのに睦月と楽しもうとしているんだ。もっとも二人とも後ろ手に縛られ、立たされているのだから惨めなもんさ。滑稽な情景だったよ。睦月が修太に背を向けて足を開き、腰を曲げて尻を突き出す。中腰になった修太が小さなペニスを尻の割れ目に沿わせて陰門を狙うんだ。思い通りにならずに肛門に挿入する。睦月は痛みに耐えきれず、泣きながら尻を振っている。それでも二人ともやめようとしない。あきれてしまったよ。これ以上変な気を起こさないように、睦月の股間を縄で縛ってやった」
Mを見下ろして、ピアニストがおもしろそうに遅刻の弁解をした。黙って聞いていたMの肩が落ちる。修太の話題に反応しないMをいぶかり、ピアニストが先を続ける。

「不思議だよな。二人とも縄を二重にして猿轡を噛ませてあるだろう。その縄の間から舌を出して、互いに舌を絡め合うんだ。股間を縛った腹いせなんだろうか。まったく理解できない。明日の訓練が心配だよ」
「私には二人の気持ちがよく分かる」

鋭く断言した声がピアニストの全身を打った。驚いたピアニストがMを見つめる。Mは毛布をはいで、ゆっくり立ち上がった。大きく胸を張ってピアニストの視線を受け止める。

「修太も睦月も、辛く、切なく、寒いから、お互いに寄り添う。寄り添った二人が官能を求め合うのに何の不思議もないわ。たとえ後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされようが、めげずに性に挑む姿は立派よ。官能の高まりにとって、定められた舞台など存在しない。自分に引き比べて判断するのはやめたがいいわ」

Mの目が燃えていた。ピアニストの背を寒い風が掠める。後ろめたさを隠そうとして視線を外す。寒そうに肩をすくめ、風の行方を振り返ってみた。風は南の窓から東の窓へと抜けていく。大きく開け放された東の窓の前に脚立が置き去りになっていた。ピアニストの表情がこわばる。

「おめでとう、ピアニスト。素敵な官能の世界を見せてもらったわ。あれがピアニストが待ち望んでいた性なのね」
背中でMの声が響いた。
「弥生ではなく、僕はMを抱きたい」
背を向けたままピアニストが言った。背筋がまっすぐに伸び、緊張した肩が上がる。真剣な声だった。静寂の中を風が渡る。
「機会があればね。でも私の趣味ではないわ」
Mがぽつんと答え、階段に向かった。ピアニストは肩を怒らせたまま、去っていく足音を聞いた。


Mはゆっくり階段を下りる。マグライトの光は足元を照らしている。ピアニストの求めを拒絶したのは、これで二度目だった。苦悩に歪む十八歳のピアニストの顔が闇の中に浮かび上がる。求められれば応えるのがMの生き方のはずだった。なぜ二度もピアニストを拒絶したのか分からない。甘酸っぱい味が口の中に拡がる。人を頼らず、自分の責任と人格で生きることを、Mが頑ななまでピアニストに望んだのかも知れなかった。まるで自分自身を見つめるように十八歳と三十歳のピアニストを見たのだと思い、闇の中でMは戸惑う。

階段を下りきると、右手の広間から苦しそうな呻きが聞こえた。修太と睦月を縛り直したと言ったピアニストの言葉が甦り、声のする方へライトを向けた。白い光の輪が二つの裸身を照らしだす。後ろ手に縛られた素っ裸の修太と睦月が首をねじ曲げて、互いの口を吸っている。二条の縄で口を割った猿轡の間から苦しい呻きが洩れた。二人の首に巻いた縄はまっすぐ上に伸び、鉄棒に縛り付けてあった。つま先立ちにならないと喉を絞められてしまうほどの過酷な吊りだ。睦月のふっくらした尻が苦しさに震えている。

Mは黙ったまま二人に近寄り、首を吊った縄を緩めた。ほっとした二人が一様に膝を曲げ、硬直した関節をほぐす。修太の股間で固く勃起したペニスがかわいかった。睦月の尻の割れ目には二条の縄がのぞいている。ほっそりしたウエストを縛った縄が臍の下で結び目を作り、まっすぐ引き下ろされて股間に食い込んでいた。Mは睦月の足元に屈み込んで無惨な股縄を解いてやる。縄の途中には大小二つの結び目がつくってあった。それぞれの結び目が陰門と肛門を割って体内に挿入されていたのだ。痛みに耐えかね、尻を振って身悶えしていた睦月の気持ちを考えると切なくなる。陰門に挿入されていた結び目はじっとりと濡れていた。温もりが残る縄がMの手に痛い。性を憎悪するピアニストの執念が悲しかった。立ち上がって修太の尻を手で打った。ピシッという小気味よい音が広間に響いた。冷え切った素肌の感触が哀れでならない。しかし、ピアニストが下りて来るまでの二時間は、凍えた身体と心を性で癒すには十分な時間だった。猿轡を噛まされた修太の口から低い呻き声が洩れた。熱く燃える目でMを見た後、修太は睦月の裸身に身体を寄せた。素っ裸で後ろ手に縛られた不自由な身体で二人一緒に官能の舞台に立つのだ。一人立ち去るMの後ろ姿を悩ましい喘ぎ声が追った。


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