11.集結地

極月の運転する偽救急車は闇の中を西側ゲート目指して突っ走った。長さ四百メートルの競艇ビルの裏を走り抜けると、広場の先にゲートが見えた。大きく開け放した門から続々と緊急車両が入ってくる。前照灯と赤色灯の光が交錯し、高く低く響き渡るサイレンとエンジン音に場内の警報音が混じり合った。極月は救急車の速度を落として競艇場を脱出するタイミングを計る。三台のパトカーが続けてゲートに進入し、消防隊の梯子車とポンプ車が地響きをたてて競艇ビルに向かった間隙を縫ってゲートに入った。わずかな差で後続のパトカーとすれ違わずにゲートを飛び出す。ちらっと横目で見た門衛の詰め所に人影はなかった。ゲートは開放されている。爆発後の十分間は競艇場をパニックが支配していた。

ゲート前のアプローチを抜ける交通信号は赤だったが、サイレンのボリュームをいっぱいに上げて県道に左折した。左手に七階建ての競艇本部ビルが見える。南側の屋上に突き出たエレベーター棟から赤い炎が吹き出ている。黒い闇の中で二本の銀色の梯子が炎に赤々と照らし出された。やっと梯子車の放水が始まったのだ。火が消えて負傷者が収容されれば本格的な捜査が始まる。

「霜月たちは無事だったかしら」
助手席に座る文月が幾分緊張の解けた声で話し掛けた。極月は黙ったまま救急車を走らせ、大きく弧を描いてコンクリートの高架の下を潜り抜けた。バイパスの東側を通る旧道に出る。もう振り返っても、バイパスの高架が邪魔になって競艇場は見えない。後続車と対向車のないことを確認してから赤色灯とサイレンを消した。幸い旧道は空いていた。昔ながらの田園風景が広がっているが、競艇場からは歩いて十五分の距離だ。四車線のバイパスに隔てられただけで反対側の風景はまるで違う。しかし、所々にアスファルトで整地した広々とした駐車場があった。競艇場が農地を買い取って整備した無料駐車場だ。競艇場からは少々遠いが、五百円の駐車料を払うより舟券を買った方がよいという熱心なファンには好評だった。偽救急車はさり気なく右折してカーブ際の目立たない無料駐車場に進入した。ヘッドライトを消して、まっすぐ奥に向かって徐行する。ライトを消す寸前に極月は右手奥に駐車した大型トレーラーを確認した。

農地の北の防風林に沿って二台の大型トレーラーが後ろ向きに止まっている。駐車場に入る道路からは死角に当たる場所だ。頭上を走るバイパスからは見下ろせたが、バイパスを歩く者はいない。一台のトレーラーの右側で小さな光が地面に向けて振られた。合図を確認した極月が車の向きを変え、光が振られた方角に徐行して走る。バイパスに並ぶ水銀灯の光を微かに浴び、防風林と見まがいそうな黒い影となったトレーラーに近寄っていく。三メートル四方もある荷台の扉が大きく開け放され、二本のスロープが地上に延びていた。葉月と長月が扉の左右に分かれて懐中電灯でスロープを照らし出している。極月はできる限りスピードを落とし、慎重に前輪をスロープに乗り上げた。

「オーライ、そのままでオーライ」
車の後ろから響く低い男の声にうなずき、極月がアクセルを踏み込む。一段高くエンジンが吼え、偽救急車は車体を揺すってスロープを越えた。見る間にトレーラーの中に吸い込まれる。即座に長月と葉月がスロープを収納して扉を閉めた。偽救急車の収容は一分とかからなかった。

「なぜピアニストと弥生がいないの」
トレーラーの車内に極月の叫び声が反響した。偽救急車の後部ドアを開けて降り立った修太と睦月、卯月の顔が曇る。ドアの前で三人を迎えた極月の頬が震えている。横に立つ文月の顔も青くなっていた。トレーラーの天井から落ちる小さな明かりが五人の姿をわびしく照らし出している。救急車の中に山積みになったジュラルミンのコンテナが怪しく光った。乗っているはずのピアニストと弥生、Mの姿はない。

「私は全員そろったと言う修太の声で車を発進させた。なぜ嘘をついて三人を見殺しにしたの」
極月が一歩を踏み出して修太に迫った。人員を確認しなかったことを極月は悔やんだが、あの場で点呼をとることはできない。外から車内が見えないように、運転席の後部を黒い板で仕切ったことが裏目に出たのだ。
「計画が狂った」
ぽつりと修太が答えた。続いて胸を張って言い募る。
「ピアニストたちを待てば必ずパトカーに追われた。待たずに発進したお陰で、救急車は誰にも見られなかった。使用した車を警察は特定できない。絶妙のタイミングで俺たちが優位に立てたんだ」
「犠牲になった三人はどうなるのよ」
極月の勢いが弱まっていた。修太は断固とした声で答える。
「ピアニストはプロジェクト・リーダーなんだ。自分の責任と指導力できっと生還する。そうでなければリーダーとは言えない」

「そうよ」
修太の横で睦月が同意した。
「あの状況では、ピアニストも同じ決断をしたと思う」
卯月の乾いた声が、その場の意見をまとめ上げた。
「ピアニストが生還するまでは俺が指揮を執る。さあ車をワイヤーで固定するんだ」
極月が黙って退く。何も言わない文月の顔を横目でにらんだが、文月は下を向いて黙々と作業を始める。強奪した二十億円を偽救急車ごと収容したトレーラーの中に不協和音が満ちた。


トレーラーの中で修太と睦月は運送会社の作業服に着替えた。極月と文月は偽救急車の運転席に戻り、卯月が二十億円と一緒に後部席に乗った。修太と睦月がトレーラーの扉をそっと開けて地上に降り立つ。長月と葉月が近寄ってきた。四人でトレーラーの扉に錠を下ろした。
「何の異常もない。静かな春の宵だよ」
長月が掠れた声で言った。
「悪いニュースがあるわ」
葉月が暗い声を出した。
「さっきラジオで聴いたけど、突入班の五人が全滅したわ。一人が胸を打たれて重傷を負った他は全員死亡。二人は爆風に巻き込まれ、二人は射殺された」
葉月の沈痛な声が響いた。修太の足が細かく震える。
「突入班は難しいポジションだったわ。男四人が中心になって受け持ってもだめだったのね。皐月がかわいそう」
睦月が意外に冷静な声で言った。

「一人は逮捕された。この先も計画通りでいいのだろうか」
四人の心をよぎった不安を長月が言葉にした。
「シミュレーションでも誰かが逮捕されることを織り込み済みだ。誰が生き残ったとしても、計画を漏らす者はいない。俺たちは強盗団ではないんだ。心配は要らない。仲間を奪還する楽しみも増えた」
修太が力強く答えた。奪還という言葉が三人を力付けた。トレーラーの中には二十億円の軍資金があるのだ。

「もうじき七時だ。劇団の公演が始まる。五分間アイドリングして、エンジンが暖まったら市街地に戻ろう。長月と葉月が先頭だ」
明るい声で言った修太が睦月と一緒に運転席に回る。長月と葉月ももう一台のトレーラーに向かった。太いエンジン音を轟かせて二台の大型トレーラーが発進した。トレーラーは駐車場を抜け出し、旧道を競艇場の方角に左折した。大きく弧を描いた道路の分岐点で右折してバイパスに乗り入れる。

「検問は大丈夫かしら」
運転する修太の横で、睦月が心配そうな声で言った。
「検問はない。あったとしても反対車線。市と競艇場を出ていく車だけが対象だ。市に戻ってくる車を慌てて検問する必要はない。網は広げるものではなく絞り込むんだ。警察は無駄なことをしない」
修太が断言したとおり、二台のトレーラーは順調に走り水瀬川を渡って市街地に入った。産業道路から官庁街に向けて左折し、市役所の新館に向かう。中央に分離帯のある四車線の道を二台の大型トレーラーがゆっくり走る。後続の乗用車がミズスマシのように追い越していった。

トレーラーのフロントガラス越しに異様な建物が見えてきた。巨大な楕円形の半球を屋根にした奇怪なフォルムが闇の中に浮かび上がっている。広いドームを逆さまにして屋根にしたような建築だ。市が五年の歳月をかけて造り上げた文化の殿堂、繭玉会館の威容だった。大きく張り出した屋根は織物で栄えてきた市の歴史をイメージした繭型屋根と呼ばれていた。屋根の高さは手前に建つ七階建ての市役所新館より高い。二千人を収容できる大ホールが自慢だった。昨年末のオープンから、まだ三か月と経っていない。

「あの会館が、コスモス事業団の文化部門の拠点になるはずだったんだ」
フロントガラスの視界に入りきれなくなった巨大な会館を見つめて、修太がしんみりした声で言った。
「私たちの集結地にふさわしいわ」
睦月の明るい声が響いた。
「まったくだ」
修太も明るく答えた。二人の小さな笑い声が運転席に満ちた。長月の運転するトレーラーが左折して市役所新館の構内に入っていく。広い駐車場の奥まで進み、隅に寄せてトレーラーを駐車させた。午後七時半になるのに駐車している車が多い。隣の繭玉会館で今夜公演している、劇団文学界の芝居を見に来た観客の車のようだった。オープン記念のこけら落としシリーズは演劇部門でも好調のようだ。きっと会館の駐車場は満車なのだろう。終演まで市役所の駐車場で待つことになる。二台のトレーラーはエンジンを切り、静まり返った駐車場の闇に溶け込んでいった。右手後方には、二か月前にエレベーターを爆破されたばかりの市庁舎本館が小さく見渡せた。


午後九時のニュースがカー・ラジオから流れてきた。修太と睦月が耳を澄ませる。
「今日午後六時過ぎに競艇場で強奪された現金の総額が判明しました。強奪されたのは十五億二千五百六十八万七千円です。犯人たちは一万円札の入ったコンテナのすべてと、五千円札、千円札の入ったコンテナの一部を強奪しました。強奪現場の競艇ビルでは、爆発物によりエレベーター一基が爆破されました。この爆発と警察官との銃撃戦の結果、犯人四人の死亡が確認され、一人が重傷を負っています。重傷者の意識ははっきりしているようですが、シモツキという言葉以外は一言も話しません。捜査当局では、爆発物や銃器を使用した手口から見て、大がかりな組織的犯行との見方をしています。いまだ犯行声明はしていませんが、二か月前に市庁舎本館を爆破した、テロリストグループのシュータの犯行である可能性も残されています。現金が強奪された競艇本部ビルの四階で、警察官と銃撃戦を演じた三人の男女はまだ逃走中です。警察では三人はまだ競艇場内に潜んでいると見て、徹底した捜索を続けています。なお奪われた十五億円の搬出経路と搬出方法もまだ判明していません。犯行前後に不振な車両の目撃者がいないことから、パトカーや救急車などの緊急車両に紛れて現金を搬出した可能性もあります。警察では競艇場内の捜索と合わせ、逃走に使用された車両の発見に全力を注いでいます。また今回の現金強奪事件では、エレベーターの爆破と銃撃戦により、犯人以外にも負傷者が出ています。警察官と警備員、合わせて二十九人が重軽傷を負っています。負傷者全員が近くの病院に収容されていますが、いずれも生命に別状はありません」

「十五億か、凄い」
修太が溜息とともにつぶやいた。
「ピアニストたちは戻ってくるかも知れないわね」
助手席の睦月が不安そうに言った。二人は横を向いて見つめ合う。駐車場の外灯の光が緊張した二人の顔をぼんやりと照らし出した。睦月を見つめる修太の顔が徐々に興奮してくる。
「とにかく大成功だ。ピアニストが戻ってもいいし、戻らなくても、海外で大使館でも占拠して霜月と一緒に奪還することだってできる。十五億円もあるんだ」
修太の差し出す右手を睦月が握り返した。二人の顔が輝き、握り合った手に力がこもった。


午後九時半に繭玉会館の芝居がはねた。今夜の演目「クレオパトラ」に感動した面持ちの観客が市役所の駐車場にも帰って来る。修太たちは運転席で寝ころんだまま十時半まで待った。会館は十時で閉館だった。劇団文学界のスタッフは全員、市が用意したホテルのパーティに出席したはずだった。会館にはもう二人の警備員しか残っていない。大道具の搬出に来たトレーラーを疑うはずがなかった。たとえ実際の搬出の予定が明朝であっても、運送会社からの予定変更の電話と劇団幹部を装った飛鳥を前にしては警備員も納得するしかない。現金強奪計画を持ち掛けてきたときから続く飛鳥の役者振りには、ピアニストが舌を巻いていた。修太にも異存はない。

二台のトレーラーはゆっくり市役所の駐車場を出て繭玉会館の裏手に回る。先ほどとは違い、修太の運転するトレーラーが先頭になった。巨大な繭型屋根が張り出した広いスロープをバックで下り、半地下になった大道具搬入口のシャッターの前にトレーラーの後部をつけた。隣りに長月の運転するトレーラーが並ぶ。エンジンを切ると同時に、搬入口の巨大なシャッターが上がっていく。長さが十メートルもある軽合金のシャッターは、三メートル上がったところで止まった。修太と睦月が運転席から飛び降り、搬入口によじ上ってトレーラーの扉を開け放した。中からエンジン音が響き、極月の運転する偽救急車がゆっくりバックして出て来る。奈落に空いた窓のような搬入口から闇の伽藍に見える舞台奥へと、両手に懐中電灯を持った飛鳥が極月を誘導する。

緞帳の上がった大ホールの舞台にはエジプトの神殿をかたどった大道具が置かれたままだった。つい一時間前、この舞台の上でアントニウスがクレオパトラに抱きかかえられて息を引き取ったばかりだ。まだ熱気の残る二千席の椅子に見守られ、非常灯にぼんやりと照らされた神殿の中に上手からゆっくりと救急車が入ってくる。余りにもアンバランスな取り合わせに、幻の観客が息を呑む音が聞こえてきそうだった。観客の中にはきっと、アントニウスを収容に来た救急車が繰り広げる現代劇の展開を予感して、身を乗り出す者がいたかも知れない。だが、偽救急車は舞台の上でハンドルを三回切り替えして向きを変え、そのまま舞台下手奥へ退場してしまった。

極月は小道具搬入口の扉の前まで偽救急車を前進させてから停車した。扉を開ければそのまま、小ホールの陰になった東側の中庭から産業道路に出られるのだ。エンジンを切って、極月と文月、卯月の三人が舞台に戻ってきた。大道具搬入口のシャッターを閉めた修太と睦月、長月と葉月の四人も合流した。

「これで全員かい。犠牲者は出たが、とにかくおめでとう。さすがはシュータだ。計画を立てた甲斐があったよ」
相変わらずダークスーツを着込んだ飛鳥が頬を上気させて全員を見回す。
「ピアニストたち三人が遅れているが、今後も計画どおりでいいね。残念ながら人数が減ってしまい、一台のトレーラーは邪魔になった」
飛鳥が修太の顔を見つめて念を押した。
「変わりはない。計画どおり午前零時まで待つ。三人が来られなかったら予定どおり出発だ」
修太が飛鳥の目を見てきっぱりと言った。

「リーダーの代理がしっかりしていてくれてうれしいよ。警備員の巡回はちょうど午前零時だ。時報に合わせて爆破しよう。後は救急車とトレーラーに分乗し、騒ぎに紛れてここを脱出する。まさか半日足らずの間に二回も爆発騒ぎがあるなんて、誰も想像していない。県境を越えるのは簡単だ。救急車は大活躍だよ。まあ、お祝いに一杯やってくれ。オシショウがビールをおごるそうだ。もうじき来るだろう」
飛鳥の声に全員が喉の渇きを意識した。だが、修太が踏みとどまる。

「いや、爆破の準備が先だ。見張りも置かなくてはならない。睦月はトレーラーに戻ってくれ。極月は正面玄関を見張れ。俺と卯月はエレベーターに爆薬をセットする。他の者はここで待機」
すっかりリーダーが板に付いた修太が命じた。
「ちっ、オシショウは遅すぎる」
小さくつぶやいて飛鳥が舌打ちをした。黒いバッグを抱えた卯月と一緒に舞台を下りた修太が訝しそうに振り返った。素知らぬ顔で笑い掛けた飛鳥が二人に続いて舞台を下りる。広い客席の間の通路を一列になって抜け、三人はホールの出口に向かった。二重になった扉を開けると、二階まで吹き抜けになった広いエントランスホールの先に四基のエレベーターが並んでいた。ガラス張りの透明なエレベーターが繭型屋根の上に載った四階の大会議室まで利用者を運ぶのだ。修太と卯月は左端のエレベーターの前にひざまづいて扉の左右に爆弾をセットした。修太がリモートコントロールの起爆装置を取り出し、受信機に向けて同調させる。

「爆破の時は、どこを操作するんだい」
二人の後ろから作業をのぞき込んでいた飛鳥が真剣な声で聞いた。戻ってこない返事に苛立った声でまた尋ねる。
「その赤いボタンを押すと爆発するのかい」
「どこで押すかによるさ。爆弾の前で押せば時限装置が作動する。五分後に爆発するようになっているんだ」
なに食わぬ顔で修太が答えた。横で聞いていた卯月が驚いた顔で修太を見た。修太は小さく首を振って立ち上がり、大ホールへ戻ろうとする。

「準備完了だな。もうオシショウが待っているはずだ。ステージで乾杯しよう」
飛鳥が陽気な声で言って先頭に回り、大ホールのドアを両手で開けた。神殿の舞台の下手エプロンに小さなテーブルが置かれ、二本のビール瓶とグラスが用意してあった。
「みんな良くやった。惜しまれて戻ってきた者たちは光り輝いているぞ。さあ早く、その渇ききった喉を癒すがいい」
オシショウが舞台に戻ってきた修太たちに声を掛けた。舞台に残っていた長月と葉月、文月の三人はもうグラスを手に持たされている。飛鳥が素早くグラスをとって卯月に渡す。ビール瓶を持ってなみなみと注いで回った。

「修太はすっかり、リーダーらしくなった」
オシショウが修太にビールを勧める。もう拒否することはできなかった。持たされたグラスにビールが注がれる。思わず修太の喉が鳴った。オシショウが自分と飛鳥のグラスにもビールを満たした。飛鳥がさり気なく周りを見回してビールが行き渡ったことを確かめる。小さくうなずくと、オシショウが背筋を正して口を開いた。

「神ながらの道も、いよいよ海外に雄飛することになった。誉れ高く逝ってしまった者たちを惜しみ、喉を刺す美酒を飲み干そう。乾杯」
オシショウの短い挨拶の間にも、修太たち実行グループの乾いた喉が鳴った。乾杯の合図とともに、一斉に冷えたビールを飲んだ。

「ウウッー」

修太が一息にビールを飲み干すと同時に、両隣から呻き声が上がった。四つのグラスがステージに落ち、四人の身体が床に倒れた。卯月と長月、葉月、文月の四人が喉を掻きむしって苦痛に悶え、大きく全身を痙攣させてから急に静かになった。一瞬のできごとだった。素早く飛鳥が修太の背後に回った。相次いで倒れ伏した仲間を見下ろしたまま戦慄する修太の両手が、背中にねじ曲げられる。音を立ててグラスが床に落ちた。ぼう然として立ちつくす修太の後ろ手に飛鳥が乱暴に手錠をかけた。冷たい手錠の感触で我に返った修太が、大きく目を見開いてオシショウを見た。飛鳥の乾ききった声が耳元に落ちる。

「青酸カリというのは効きが速い。あっけないほどだ。思い悩む時間の余裕さえない。だが、まだ役目が残っている修太には青酸カリはやれない。事件の責任を取ってから滅びるんだ」
言い終わった飛鳥が修太の背を乱暴に突いた。力の抜けきった足がよろめき、修太は舞台に倒れ伏してしまう。急降下する視界の隅に、にこやかに微笑んでいるオシショウの顔が映った。オシショウは修太を見ようともしない。面倒くさそうに卯月の死体の前に屈み込んだ。フォルスターごとベレッタを外して立ち上がり、テーブルの上のビールの横に置いた。修太の前に屈み込んだ飛鳥が、口にきつく猿轡を噛ませた。エジプトの神殿が冷ややかに一連の出来事を見下ろしている。時刻はとうに、午後十一時を回っていた。


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