12.助役

懸命に走っても汗が吹き出さなくなっていた。

マラソン大会みたいだと修太は思った。しかし、マラソン大会が開かれるのは決まって冬だ。こんな暑さの中を走り続けたのは生まれて初めてだった。しかも、今は全裸のまま走っている。とにかく夏休みはスタートしたのだ。

ゴールのログハウスも近付いている。
坑道に残ったMが少し気掛かりだったが、MはMだ。切迫した不安は感じなかった。何よりも祐子と光男を取り戻したことに全身が高揚していた。走ることも、それほど苦にならない。
快調な足取りを保ったまま、アトリエの中に走り込んだ。

「気が狂ったか。何て格好だ」
相変わらずろくろの前に座った陶芸屋が、あきれ返った顔で大声を出した。
「Mが通洞坑に閉じ込められたんだ。早く助けに行こう」
「Mは渓谷の写真を撮りに行ったんだぞ。なぜ通洞坑に入るんだ」
怪訝な顔で聞き返した陶芸屋にやっと、修太は朝からの事件を説明した。

全裸のまま息を切らしている異様な様子を見て、今度は陶芸屋も最後まで修太の話を聞いた。
「父ちゃんは、まだ学校に行ってなかったんだね。センセイが裸で縛られて助けを待っているって言ったじゃないか」
「センセイが裸でいるなんて聞かなかったぞ。玩具の手錠なんかして帰ってくるから悪ふざけと思ったんだ。もう事情が分かった。すぐ学校に行こう」
あたふたと立ち上がって車のキーを手にする陶芸屋の顔に、修太は不純な高ぶりを感じた。我が父ながら好色がすぎると思う。

「俺も行くから」と大声を出す。
「そんな格好でか」と、浮かぬ顔で言う陶芸屋に「Mも祐子も光男もセンセイも皆裸なんだ、俺も裸で行く」と答え、棚の上からバスタオルを取って陶芸屋に投げた。
「センセイの身体にかける物を持っていかないと、嫌われるぞ」
修太の声に陶芸屋の顔が赤く染まった。
まったく、どうしようもない父だと、また修太は思った。Mが、よく一緒に住む気になったものだと思ってしまう。
あまりに現実と違う陶芸屋の事件に対する認識振りに振り回され、修太はMに頼まれた警察への通報を忘れてしまっていた。


窓を開けたままの教室の教卓の上に、うつ伏しているセンセイの白い裸身が見えた。
陶芸屋は後ろの入り口で立ち止まったまま、後ろ手錠に縛られた裸身に見入った。突き出した剥き出しの尻が赤く腫れ上がっているのが見える。左足首にかけられた手錠が教卓の脚に繋いであった。
何と言ってセンセイに近寄ればいいか陶芸屋が考え込んでしまったとき、手にしたバスタオルを修太が奪ってセンセイに駆け寄る。
「センセイ。遅れてごめんなさい。祐子と光男は取り戻したからね」
「ほんとう」
センセイの嬉しそうな声が聞こえた。駆け寄った修太がさっとバスタオルを広げ、センセイの裸身を被った。
修太はタオルの下に手を入れて、後ろ手の手錠を外した。屈み込んで両足首の手錠も外す。
センセイはうつ伏したまま自由になった両足を閉じる。腕を両脇に垂らして微かに首を振った。

「良かったわ。祐子も光男も無事なのね。本当に良かったわ。あの女はどうしたの」
ほっとした声で言ったセンセイだが、自分を悲惨な目に遭わせた女のことには触れたくなかった。しかし、訊かないわけにはいかない。
「眉なし女は、どこにいるか分からないんだ。Mが通洞坑の中に監禁されていた祐子と光男を救ったときに、坑道に鍵をかけて逃げてしまったままなんだ」

「Mは俺たちと一緒に住んでるんです」
陶芸屋が入り口で、間の抜けた声を出した。
「わざわざ来ていただいてありがとうございました。すぐシャワーを浴びてきますから、待っていてください」
バスタオルを身体に巻いて、ゆっくりと立ち上がったセンセイが陶芸屋に言った。
「はい」と答えた陶芸屋がまぶしそうな目でセンセイを見る。
「あれ、修太さんはなぜ裸なの」
「みんな裸でいるんです」
「そう」と言い残してセンセイは、静かに居住区に去って行った。


手持ちぶさたの陶芸屋が、教壇の所まで入ってきた。
教卓の上に残された白いワンピースとショーツ、ブラジャーの残骸にじっと見入っている。いずれの布も鋭利な刃で鋭く断ち切られていた。
床に目を落とすと、糞尿の溜まった汚れが見える。
「掃除しておいてやろうか」
陶芸屋が小さな声で言うと、即座に修太が応える。
「見ない振りをしていればいいんだ。センセイがいたたまれなくなってしまうよ」
「いつの間に、そんなに気が回るようになったんだ」
感心したように陶芸屋が訊く。
「人の痛みを分かろうとしているだけさ。それより、早くMを助けに行こうよ」
「センセイが待っていてくれと言ったんだ。それにMは大人だから心配ないさ」
「でも、眉なし女と産廃屋がいる」
「眉なし女と格闘して、Mが勝ったって言ったじゃないか。産廃屋は現れはしないさ。自分で墓穴を掘るような真似は、やつはしない」
「そうだ、Mは警察を呼べっていったんだ。忘れていた。すぐ警察に電話しなければ。センセイの電話で父ちゃんが事情を話してくれよ」
修太が先に立って教室を出る、走るように廊下を急ぎ、センセイの居住区に続く角を曲がった。

ちょうど、センセイが部屋のドアを開けて出て来たところだった。洗い髪に白いバスローブを着ている。
「センセイ。電話を貸してください。警察を呼ぶんです」
修太が早口に言うと、センセイはまた部屋のドアを開けた。
「二人とも入って。先ず、今までの経過を良くセンセイに聞かせて欲しいの」
センセイの部屋にしか電話はない。修太は躊躇なく部屋に入った。陶芸屋が修太に続く。
センセイの部屋は八畳ほどのワンルームだった。バス、トイレ、キッチンが使い良さそうに配置されていた。造りは古いが、今時のアパートより余程立派に見える。エアコンが効き始めていた。クーラーのない陶芸屋のアトリエより住み易そうだった。

三人は部屋の中央で立ったまま話した。センセイの尻の傷が痛んで座れなかったのだ。
通洞坑の闇の中で体験してきたことを、修太が興奮しながら話し終えた。
「祐子さんと光男さんが、二人きりでいるのが気掛かりだけど、もう心配はなさそうね。先ず、二人を保護することが先決です。ご苦労でも、陶芸屋さんが通洞坑に行って、入り口の錠を破って坑道に入ってください。その方が、山を回るより近道でしょう。Mさんが坑道にいます。抜け穴の場所は彼女が知っているのでしょう。二人で協力して光男さんと祐子さんを坑道に呼び入れ、連れ帰ってください。警察への通報は子供たちを確実に保護してから考えましょう。あまり産廃屋たちを刺激すると予期せぬ事故が起こらないとも限りません」
センセイが威厳に満ちた声で決断を下した。修太も従うしかなかった。これが学校の生活なのだ。

「センセイ。俺も父ちゃんと行っていい」
「いいでしょう。でも、お父さんのいうことをよく聞くのよ。それから、ここでシャワーを浴びてから行くこと。体中、汗と埃で汚れているわ。いいわね」
「はい」と修太が答え、センセイの浴室に入っていった。ここは学校なのだ。センセイが赤く腫れ上がった笞打ちの痕を隠してしまった以上、つい数時間前に教室で荒れ狂った暴力の記憶も、まるで無かったことのように思えてくる。
センセイの威信が学校に甦ったのだ。

シャワーの音を聞きながら、センセイは話を続ける。
「祐子さんと光男さんの保護者には今、電話で簡単に事情を説明します。帰りが遅いので心配するといけませんからね。先ず、祐子さんのお父さんの携帯電話にかけてみましょう。ヘリに乗っていれば電波が届くと思います」
陶芸屋の同意も待たないで机の上のコードレスの電話を取り、壁に貼った名簿の番号をダイヤルする。
しばらくの呼び出し音の後、雑音のひどい音声が聞こえてきた。
「ええ、そうです。祐子さんが産廃屋の秘書役に拉致されました。しかし現在、無事逃げ出して安全な所に隠れています。これから修太さんのお父さんが保護に向かいますからご安心ください」
同じような電話を町医者の奥さんにもかけた。鮮やかな手並みだ。そばにいる陶芸屋はあっけにとられるばかりだ。仕事ができる女とは、センセイのような女なのかと思う。今更ながら世間知らずを恥じた。

浴室から出た修太が、バスタオルを腰に巻いてセンセイの前に立った。
「どこに電話したの。警察」
「違うわ。祐子さんと光男さんの家族に経過を説明したの。それから、陶芸屋さん。光男さんのお祖母さんが、ご一緒したいと言うの。立ち寄って、乗せて行ってください」
「大丈夫かな」
修太が不安そうな声を出す。
「産廃屋のことが心配なのね。真っ昼間から乱暴なことをしたら、それこそ後の祭りよ。それにたくさんの人が行った方がいいわ。私も行きたいけど、ちょっと無理ね」
散々笞打たれて赤く爛れた尻が、バスローブの生地に触れて痛んだ。これは予期せぬ事故なのだと、懸命に思い込もうとした。

「そうだ。修太さん、これを持っていって。携帯電話よ。元山沢は市に向かって開いているから電波が通じるはずよ。何かあったらすぐ電話して、いいわね」
机の引き出しから取り出した、ケースに入った携帯電話を修太に手渡す。修太が紐を長く伸ばして、肩から斜めに携帯電話を吊った。
「じゃあ、行って来ます」
陶芸屋と修太が部屋を出る。センセイは廊下に出て二人の背を黙って見送った。


部屋に戻ったセンセイはドアを開けたまま窓まで行き、大きく窓を開けた。修太たちの残り香を追い払おうとしたのだ。
開け放った窓から賑やかなセミの声とともに、湿った熱気が飛び込んできた。微かに森林の香りがした。
瞬く間に入れ替わった空気に満足して窓を閉めた。廊下に出て左右を見渡してからドアを閉め錠を下ろした。静かな学校が戻っていた。

センセイは白いバスローブを脱いで裸身を晒した。
机の横に置いた姿見の前で後ろを向いてみる。想像した以上に悲惨な状態だった。締まった小振りの尻は倍以上の大きさに赤く腫れ上がっていた。無数に赤黒いミミズ腫れが走り、所々に血が滲んでいた。足を大きく開き、股の間から姿見をのぞき込む。真っ先に爛れた肛門が目に付く。粘膜が盛り上がるほどに腫れていた。カンナが毛深いと言った陰毛が、爛れた粘膜に張り付いている。
笞打たれたときの悔しさと恥ずかしさが甦り、涙がこぼれた。

しばらく泣いた後、机の上の電話を取り、迷わず役場の助役室にダイヤルした。
「助役です」
すぐ落ち着いた太い声が、受話器から響いてきた。
「助役さん、私。今、お忙しい」と言って、また涙ぐんでしまう。助役が息を呑むのが分かった。

「何だ、センセイか。今日から夏休みだったね。あいにく私は忙しい」
「忙しそうな声に聞こえないわ」
「はははは、頭は忙しいのだよ。身体は珍しく予定がない。県知事から正式に産廃処分場を認可しないと連絡があったが、町長は出張中で明日まで戻らない。そういうわけで、明日の午後開く緊急幹部会議までは、対策を考える頭の運動しかすることはないのだよ」
いつものように自信に満ちて饒舌だった。涙ぐんでいたセンセイの口元に笑みが戻る。

「助役さん。実は私のお尻、真っ赤に腫れ上がっているのよ。死ぬほど笞で打たれたの」
送話器の前で助役が息を呑んだ。次の言葉を探しているらしい。
「何があったんだ」
直裁に聞いてきた。いつでも時間を無駄にしない人だ。
「会って話すわ。今から来られないかしら。予定が入ってないんでしょう。ねぇ来て」
また沈黙があった。
「三十分後に着く」
電話は助役から切られた。

センセイは電話を置き、押入を開けた。
部屋の中央に布団を敷き、真新しい白いシーツをかけた。
冷蔵庫を開けて氷を取り出し、洗面器に入れた。水を注ぎ入れて白いタオルを水に浸けた。
全裸のまま糊のきいたシーツにうつ伏せに寝て、腫れた尻を冷たいタオルで覆った。
火照った尻が瞬時に生き返るような気がした。そのまま目を閉じてじっと、セミの声に聞き入っていた。

電話を切って、きっちり三十分後にドアがノックされた。
「どうぞ」と答えると、鍵を回す音がしてドアが開けられた。
布団にうつ伏したまま顔を横にして、ドアを見上げる。
自信に溢れる身体を紺のスーツに包んだ助役の笑顔と目が合った。

「本当の話なんだな。私を呼びたくて嘘を言ったのかと思った」
ずかずかと上がり込んできた助役が布団の前で膝を突き、センセイの尻を被った白いタオルを取った。
「うっ」と絶句してから言葉を口にする。
「これはひどい。嘘の方がよほど良かった。何があったんだ」
問い掛けた助役が上着を脱ぎ、氷の浮かんだ洗面器の水で口をすすいだ。

センセイの尻に顔を寄せて、白い肌に無数にできたミミズ腫れに舌を這わせる。血の滲んだ傷を丁寧に舐めると、センセイの口から甘い呻き声が洩れた。
「何があったか話してみなさい。さあ足を広げて」
センセイが話す今朝からの出来事を聞きながら、助役は大きく広げられた股間にゆっくりと舌を這わせた。特に肛門の回りを念入りに舐めた。つぼめた舌が肛門の粘膜を割って入り込むと、センセイの口に歓喜に満ちた呻き声が洩れ、度々話を中断させた。

濡れきってしまった股間を助役の舌が巧妙に這う。話し終わったセンセイは痛みも忘れ、快楽の細い糸をたぐり寄せ始めていた。
「助役さんっ」と叫んだセンセイの腫れ上がった尻が細かく痙攣し、ゆっくりと弛緩していく。

身体を離した助役が優しい目でセンセイの裸身を見下ろしている。
「そうか、産廃屋の秘書役が血迷ったか。もう、あいつらを許しはしない。私の政治的な立場をはっきりさせるのが遅れたのかも知れない。センセイにも迷惑をかけてしまった。しかし、これでもう勝ったも同然だ。私は立つ」
「えっ、どうするんですか」
上気した裸身をシーツの上で大きく開き、陶然とした目でセンセイが助役を見上げた。

「来春の町長選挙に、私が立つ。もっと早く決断すべきだったんだ。鉱山会社の下請けで財をなしたやつが、町長に収まっている時代ではない。この町のことを一番良く知っているのは私なんだ。産廃処分場など建設させるものか」

「勝てるの」と尋ねたセンセイの瞳が怪しく光った。
「勝ったも同然だと私は言った。今の町長は産廃屋と一蓮托生だ。尻尾を出した産廃屋は私が全力で叩く。戦が始まるんだ。私は今日限り助役を辞める」
「素敵だわ。勝ったら助役さんのお尻を私と同じようにして上げるわ」
「センセイ。私はこの年まで独身で通してきてしまった。権威は自分で作るものなのだよ」
見下ろした助役の瞳の底で黒い炎が燃え盛っている。
センセイの裸身を再び快感が駆け抜け、腫れた尻全体が熱く火照った。


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