14.登り窯

陶芸屋は急に忙しくなった。予定していた窯焼きが一か月以上早くなってしまったからだ。
今日も朝早くから倉庫と登り窯の間を激しく行き来して、窯詰めの支度をしている。夏休みをとって手伝いに来た緑化屋と村木の姿も見える。

Mが私室に使っているログハウスの屋根裏部屋から、汗にまみれて立ち働く三人の姿が見下ろせた。
屋根裏部屋の窓は北の山に向かって開いている。山の斜面を這う登り窯を被ったトタン屋根も見えた。屋根の下には、山を下る巨大な芋虫のような怪異な姿で、登り窯が横たわっているはずだった。窯の回りには芋虫の餌となる松材の薪が、うずたかく積まれている。

倉庫と窯の間を数往復した緑化屋が窯の前まで行き、大きく伸びをした。単調な作業にうんざりしてしまったようだ。
緑化屋は目の前に横たわる芋虫にじっと目をやった。見れば見るほど奇怪な窯だと思う。
登り窯の長さは10メートルはあった。幅が2・5メートルほどで、高さも2メートルはある。焚き口と後ろに立った煙突部分との標高差が5メートルはあった。

耐火煉瓦を積み重ねた上を粘土で厚く被い、全体が滑らかな曲線で形作られている。焚き口の大きな半球型の上に同じ様な瘤が四つ続いて見える。その様がちょうど、山を這い下って来る芋虫に見えるのだった。
目の前にぽっかりと空いたアーチ状の焚き口は芋虫の口だ。そしてまるで目のように、左右に覗き穴が開いている。
焚き口のある半球が火袋。その後ろの瘤がそれぞれ一の間、二の間、三の間、四の間と呼ばれる窯室で、連続して続いている。各室ごとに左側の壁にアーチ状の出入り口があった。

「すぐ、窯詰めにかかろう。今夜のうちに炙り焚きが始められる。三昼夜焚き続けるんだ。応援の仲間を呼べないから、あんたと村木に戦力になってもらう。しかし、事情の知らない村木は初めは使えない。あんただけが頼りだ。辛い仕事になるが頑張ってくれ」
いつの間にか緑化屋の横に並んだ陶芸屋が、思い詰めた口調で告げた。
「まさか、陶芸屋の助手になるとは思わなかった」
「一口に、焼き物というくらいだ。この三日が勝負になる。頼んだぞ」
力無い緑化屋の言葉に、いつになく真剣な顔で応えた陶芸屋が、一の間の方に向かった。窯詰めを始めるらしい。商売とはいえ、大変なエネルギーだ。

「Mっ、手伝ってくれよ」
陶芸屋の大声と同時に、ログハウスの二階で窓の閉じられる音が響いた。窓辺にいたMが窓を閉めてしまったらしかった。
Mは手伝いはしまい、と緑化屋は思う。二日前の通洞坑の闇の中で、珍しくMは自分の意見を主張しなかった。祐子のことを思い惑ったのだと緑化屋は思う。
元山沢を出る日が近付いた予感がした。

幸いこの二年間、祐子に喘息の発作はなかった。しかし、心の傷は一層深まったはずだ。中学校に進学するのを機に、少なくとも下流の市には転出したかった。道子を呼んで、親子三人で暮らそうと思う。市まで出れば都会へも通える。現場で埋もれてしまうのはもう耐えられなかった。

今年政務次官になった代議士の顔が目に浮かんだ。緑化屋が中央官庁にいたとき、結構気の合った族議員の一人だった。帰任を頼む手紙を書こうと思った。別に恥ずかしいことではない。この町の助役がいうように、私は官僚の一人なのだと緑化屋は思った。
二日前に通洞坑で、助役の言った言葉が耳に甦ってくる。

通洞坑の闇の中で、現実とは思えない冷気が、緑化屋の爪先から身体の奥へと上がって来ていた。
子供たち三人は、チェロと町医者の奥さんが外に連れ出していた。
目の下に横たわる二つの死体の前に残っているのは、緑化屋と陶芸屋、M、そして助役の四人だった。

「Mさんがしようとしたように、私も警察に通報すべきだと思う」
冷静な口調で言えたと緑化屋は思った。考えた末の結論だった。
二つの死体の処置を巡って長い議論が続いていたのだ。
「緑化屋さん。官僚とも思えない意見だ。いいですか、あなたは官僚なのだから、先ず全体のことを考えなければならない」
諭すように助役が続ける。
「いくらMさんが一人で責任を取ろうとしても、そうはいかない。緑化屋さん、少しは娘の祐子さんのことを考えたらいい。祐子さんは、Mさんと一緒に産廃屋を殺したと思っているはずだ。ここにいた者は皆、そう思っている。また、陶芸屋さんと修太さんは、自分たちが向こう見ずに坑内に飛び込んだから事件が起きてしまったと思っている。Mさん一人が責任を取ったとしても、皆さんの心の傷は消えるどころか、時とともに益々大きくなっていくだろう。産廃処分場の問題はもはや、雲散霧消してしまっている。県知事は建設を認可しないことに決めたのだ。産廃屋たちがゼネコンに頼まれて来たのか、利権を漁りに来たのかは知らない。しかし、仕事に失敗したやくざ者が失踪したからといって、気に掛ける者などいるはずがない。つまり、この人たちの存在理由はなくなっているのだ。今更葬式を出してやって、名残を惜しむ必要などない」

「しかし、助役さん。死体が残っている」
子供たちの気持ちを考え、暗い気分に落ち込んでしまった陶芸屋が困惑した顔で言った。
「そう、死体が残っている。そこでだ。陶芸屋さん、あなたの所には千三百度にも温度が上がる登り窯があるそうだ。三日三晩焚き続けるという。その窯ですぐ、焼き物をお焼きなさい。ついでに、この二人にも付き合ってもらう。跡形も残らないだろう」
「そんな無茶な」
陶芸屋が叫んだ。

「そうかな。今私たちは、法的にいえば些細なことで悩んでいる。Mさんと祐子さんが正当防衛か緊急避難で人を殺したこと。そして、Mさんが人を安楽死させたことだ。これは自殺幇助に当たるだろう。今度は、私を含めた残りの者が死体遺棄をしようというのだ。それぞれが今回の事件の責任を分担することが、そんなに無茶なことだろうか。先ず子供たちのことを考えるべきだ」
反論できる者は誰もいなかった。関係者ではない助役が手を汚そうというのだ。

登り窯を持つ陶芸屋がうなだれたまま首を縦に振った。続いて官僚としての緑化屋がうなずいた。
黙ったまま背を向けて、Mが坑道の入り口へと向かった。裸身に巻いた白いバスタオルが陶芸屋と緑化屋の目にまぶしく映った。


「小役人。二日間よく働いたな。これで助役が町長になれば観光課長間違いなしだ」
夕闇の迫った登り窯の前で陶芸屋が村木をからかう。
「先輩はひどいことを言いますね。僕はそんな下心なんかないですよ」
「下心のないやつが、夏休みまでとって重労働をするはずがない。しかし、まあいい、お陰で一日早く窯詰めが終わった。もっとも、作品の数が少ないから四の間は空いたままだ。効率が悪いけど仕方がない。小役人はこれで帰って、明後日の夜明け前に来てくれ。攻め焚きで忙しくなるから絶対来いよ」
「分かりましたよ。人使いが荒いんだから。もうくたくたですよ。先に帰らせてもらいますね」
疲れ切った足取りで帰る村木の背に、陶芸屋の冷やかしが飛んだ。
「課長になったときのことを考えて、堂々と歩け」

陶芸屋と緑化屋は焚き口の前に座り込んだ。
「今夜から焚き始めるのか」
「うん、さっき助役に電話を入れた。十一時には来るそうだ。火を入れるのは一時ころになりそうだな。どっちみち夜やるしかないんだからな」
「そうだな、作品はうまくいきそうか」
「分からない。できるだけのことはやった。陶芸は火の芸術と呼ばれるくらい窯焼きが大事だ。素人と一緒に焼くのは初めてだから、作品は分散して窯詰めした。できれば、力を入れた大皿だけでも何とかしたい。でも、俺の窯が火葬場になるなんて思っても見なかった」

「陶芸の道に反しないのか」
つまらないことを聞いたと緑化屋は思ったが、気にした風もなく陶芸屋が答える。
「陶芸の道より人の道が大事だ。その人の道に外れたことをしようというのだ。陶芸など、とうに吹っ飛んでしまっているよ。後はいっそのこと、焼き上がった作品に魔が乗り移ってくれればいいと思うだけさ」
陰鬱な顔で言った陶芸屋が立ち上がり、焚き口の前を竹箒で掃き始めた。
「いつもは、しめ縄を張り、御神酒で清めるのだが、今度はそうもいくまい」
寂しそうな言葉が洩れた。しかし、もう選び取ってしまった道だ。緑化屋も立ち上がり、自分の車の方に向かった。
「十一時に来る」
振り返って、腰を屈めて箒を使う陶芸屋に声をかけた。
「ああ」
下を向いて答えた陶芸屋の顔の横で、登り窯に添って植えた向日葵の大輪の花が黄金色に輝いていた。


真夜中に出て行った車のエンジン音が三十分後に戻って来た。
Mはベッドから下りて、窓から外を見下ろす。外灯の下に装甲車のような四輪駆動のトラックが止まっている。左右のドアが開き、陶芸屋と緑化屋、助役の三人が降り立つ。
Mは足音を立てぬようにして階段を下り、裏口から裸足で外に出た。素っ裸の身体を、ねっとりした夜気が包む。車から三メートルほど離れた、張り出したアトリエの壁の陰にたたずむ。
空を見上げると月はなく、中天に大きく銀河が流れていた。

男たちがトラックの荷台の蓋を下ろす物音が響いた。荷台に目をやると、赤と黒の布に包まれた二つの遺体が横たわっている。布はMと町医者の奥さんで用意し、男たちに持たせたものだ。外灯の青い光の中でも赤と黒のコントラストが鮮やかだった。
カンナと産廃屋の死装束に相応しい色合いだとMは思った。赤と黒を配した旗は、絶対自由を求めて戦ったスペインのアナキストたちのシンボルだった。自らの責任と人格だけを頼りに戦って死んだ二人に、ぴったりの配色だ。それにしても私は今、何をしているのだろうとMは思ってしまう。

走り出したくなる衝動を抑え、背筋を伸ばし、じっと立ち尽くしていた。
陶芸屋と緑化屋がそれぞれ、黒い布に包まれた産廃屋の頭と足を持って歩き出した。先頭を行く助役がランタンを掲げて足下を照らす。寂しい葬列がMの前を通り過ぎる。両の目から涙がこぼれた。
「一の間に入れるぞ、頭からだ」
陶芸屋の声が陰惨に聞こえてくる。
戻って来た三人が、赤い布に包まれたカンナを荷台から運び出した。
「あっ、観音様がご覧になっている。ありがたいことだ」
Mの姿に気付いた助役がランタンを上げて厳かな声で言った。
アトリエの影にたたずむMの姿を三人の男が見た。全身無毛の真っ白な裸身が微動だにせず、ひっそりとたたずんでいる。全員の目が救いを求めて観音を見た。三人揃ってMに頭を垂れる。
答礼もせず、ただじっと、大きく瞳を見開いたMの裸身の前を、カンナを運ぶ短すぎる葬列が行く。

「二の間に入れる」
陶芸屋の声が響いた後、出入り口を塞ぐ耐火煉瓦を積む乾いた音が続いた。
煉瓦の上に厚く粘土を張り終えた陶芸屋が、焚き口の前に戻って来た。
屈み込んだ手元がぱっと明るくなり、燃えた小枝が焚き口の中に消えた。続けて何本も小枝が投げ入れられ、焚き口全体に赤い炎が揺らめきだした。しばらくすると、焚き口の上の左右に二つ穿たれた覗き穴から、真っ赤な炎が揺らめき立った。まるで、怒りに燃え上がる両眼のように見える。
すかさず陶芸屋が屈み込んだまま移動し、焚き口の左右に空いた穴から太い薪を投げ入れる。怒りに燃えた芋虫の両眼から、ひときわ高く炎が上がった。

「燃え始めましたね。三昼夜、燃え続けるのです」
Mの横に並んで立った助役が静かな声で言った。
「ええ、見えていますわ、助役さん」
「何が見えるのです」
「あの人たちが救いを求めている姿が見えます」
「そんなことはない。自然に還るのです」
きっぱりと言った助役が背を向けて、車の方に歩いていく。紺のスーツを着てきちんとネクタイまで締めていた。やがて、軽トラックの高いエンジン音が去って行った。
目の前の登り窯では、焚き口と覗き穴から吹き出す真っ赤な炎を浴びた陶芸屋と緑化屋が、交互に太い薪を窯の中に投げ込んでいる。


焚き口から延びる炎は、二昼夜に渡って登り窯の各室を這い上がった。
三日目の夜明け前からは村木も参加して攻め焚きが始まった。各室の出入り口を封鎖した耐火煉瓦の上部に空いた穴から薪を投げ入れ、一室ごとに高温で焼き上げるのだ。
覗き穴からのぞき、炎の状態を確認した陶芸屋の指示で一の間から始める。
アーチ型の出入り口の上に空いた左右の穴から、続けて投げ込まれる小振りの薪が激しく燃焼する。強烈な勢いで覗き穴から吹き出す炎が、真っ白な糸のように輝いて見える。
窯の温度は軽く千度を超えたはずだ。
間断なく薪をくべ、様子を見、陶芸屋の指示で焚き口を耐火煉瓦で封鎖してから二の間に向かう。

すべてが終わったのは四日目の午後だった。男たちは三人とも熱で炙られ続け、声も出ない状態になっている。ふらつきながら、すべての焚き口と覗き穴を封鎖して、その場に長々と横になった。後は窯出しまでの一昼夜、窯を冷やすだけだった。


しばらく前から、夕暮れ近い窓越しに陶磁器の砕ける音が続いている。

「これも駄目だっ」
陶芸屋の悲痛な叫びとともに、また陶磁器の砕け散る音が響いた。
窯出しが始まったのだ。
陶芸屋の思う通りに焼けなかったらしいとMは思った。焼けてたまるかとさえ思ってしまう。
陶芸屋の叫びに混じって、大勢のざわめきが聞こえて来る。
「気を落とすな、次の室は大丈夫だ」
状況に相応しくない、上機嫌に聞こえる助役の励まし声が聞こえた。いや、前助役と言うべきかな、とMは思い直した。

昨夜訪ねてきた町医者の奥さんは、来月早々町長選挙になると興奮していた。
町長が町議会議長に辞表を提出し、受理されたという。
助役の指示で村木が産廃屋の事務所から持ち出した帳簿の中に、町長の収賄を裏付ける書類があったといううわさだった。その書類をもとに、助役が町長を責めたらしかった。弁明をしようにも産廃屋たちは何処にもいない。あの抜かりのない産廃屋が、もしものときの切り札に町長に突きつけるために残した証拠だった。町長に抗弁できる余地などなかった。警察沙汰にしないことと引き替えに町長が辞表を書いたらしい。

助役の機嫌がいいに決まっていた。恐らく無競争のまま無投票で当選するに違いなかった。
産廃屋たちのお陰で来春まで待たなくて済んだのだ。すべてを見通した上で、遺体の処理を急いだのかも知れなかった。
もう産廃処分場を巡る確執の痕跡は何もなかった。人は焼かれ、産廃屋の事務所も今日中にブルドーザーが踏みつぶすという。元々役場が壊す予定だったポンコツビルだ。住人がいない以上、異議を申し立てる者など誰もいない。すべてが助役の思い通りに運んだのだ。陶芸屋の作品など、どうなっても構わないのだろう。

「よしっ。その茶碗は使える。私が買おう」
楽しそうな助役の声が響き、誰かが拍手をした。きっと村木に違いないとMは思った。
黒のタンクトップに黒いジーンズを穿き、Mは姿見の前に立った。無毛の頭と眉のない顔が、まだ他人の顔のように見える。黒の野球帽を取って目深に被ってみたが、すぐ脱ぎ捨てた。カンナが最期にした仕事を、恥ずかしがって隠すことはないと思い直す。曲がったオレンジ色のサングラスを指先で延ばしてかけた。

「さあ、Mさんのお出ましといくか」
カンナの口癖をまねて明るい声で言ってみたが、情けなく涙が込み上げてきてしまった。
「これが泣き仕舞いだよ」
厳しい声で言って胸を張った。鏡の中で昔のMが甦ったような気配がした。


登り窯の横に全員が集合していた。三人の子供たちの姿も見える。
歩み寄るMを、いち早く見付けた修太が駆け寄ってきた。
「やあM。やっと格好良くなったね。ツルッパゲも似合って見えるよ」
「かわいそうだよ、てかてか頭って言いなよ」
光男も寄り添ってきた。
チェロの横に隠れていた祐子が顔を見せ、まぶしそうにMを見つめた。子供は皆、正直なものだと思う。やっと本来の自分に戻った気がした。

「Mさん、おはよう。今頃起きたんですか。かわいそうに先輩、もう二室も失敗しているんですよ」
村木が、それほどかわいそうがっていない声で挨拶した。
登り窯の横の地面には、茶碗や花器など十数点の小物が置いてあるだけだ。隣の草むらで陶磁器の破片が山になっていた。なぎ倒された大輪の向日葵が、横になったまま黄色の花を日に向けている。蝉時雨が一層高く耳を打った。
窯出しは三の間に移っていた。もうこれが最後だ。

「畜生っ」
悲痛な声が陶芸屋の喉で鳴り、大皿がまた一枚、草むらに飛んだ。
Mは既に空になった一の間をのぞき込んでみた。黒く焼けた土が見えるだけで、何の痕跡もない。二の間も同様だった。一切が土に帰り、煙とともに天に昇ったのだと思った。
冷静にカンナと産廃屋を焼いた跡が見られたことに満足し、三の間の前に進んだ。もうそれほどの作品は残っていないようだった。見守る人たちの顔に失望の色が広がっている。   

窯の奥から陶芸屋が、大きな匣鉢を二つ重ねて重そうに運んできた。直径が八十センチメートルほどある。
「これが最後だ」
唸るように言って鉢を開いた。

一瞬の沈黙の後「ウオゥー」という喚声が取り囲む人たちの口を突いた。震える手で陶芸屋が大皿を取り出し、目の前に掲げた。途端に全員が手を叩き喝采した。子供たちがまた、喚声を上げる。
直径六十センチメートルの大皿は確かに傑作だった。きめ細かい鉄色の独特の地肌の上に、漆黒の釉が浮き上がっている。まるで、飛沫を上げて流れる元山渓谷の渓流のように力強く、雄大な渦を巻いていた。

手放すことができない風情で、地面に黒い大皿を置いた陶芸屋が、続いて下の鉢を開けた。
声にならぬ驚愕が、見守る全員の身体を貫いていった。村木一人が嬌声を上げ、手を叩いている。
鉢の上に屈み込んだまま動かず、じっと中を見つめたままの陶芸屋の横から村木が手を伸ばして大皿を取り、目の前に掲げた。

全員の息を飲む音が、大きく聞こえたように全員が感じた。

チェロが目を閉じ、頭を垂れて合掌した。横に立つ祐子の肩が小刻みに震える。修太は目を大きく見開く。光男の肩が落ちた。町医者の奥さんが右手で瞼を押さえた。緑化屋が頭を横に振った。屈んだままの陶芸屋の肩に、助役が右手を置く。
Mは一歩踏み出し、村木が掲げた大皿の端を両手で握った。胸の底で大きな音が轟き、鼓動が高まる。

両手で持った大皿の鉄色の地肌は、これ以上はないというほど滑らかで明るい色をしていた。鉄錆色の釉が、まるで朱と見まがうほどの鮮やかさで、乱れ髪のように一面に舞っていた。カンナが無くした髪が乱舞しているとさえ見えた。いつも身に着けていた衣装のように、赤く輝いて見える。そして、先ほどの大皿がもたらした、産廃屋の身を被っていた黒。

全員が感じたように、カンナと産廃屋の魂が自然に還り、炎に責め苛まれ、土と混じり合った末、限りなく美しい造形となって甦ったのだ。

「二人の魂が清浄な美となって戻って来た。お祭りせねばなるまい」
助役の声が低く響いた。
何も知らぬ村木が戸惑いながらも、大きく首を縦に振ってうなずく。
「ちょうど、廃社になって久しい元山神社の祭礼の日も近い。素晴らしいご神体が二体もできたのだから、荘厳な祭りにしよう」
助役の言葉に全員がうなずいていた。それほどの衝撃を、最後に窯の中から出てきた大皿が与えたのだ。
「来月初めの日曜日になる。ちょうど町長選挙の告示日に当たる。私の出陣式を兼ねてもいい。町の住人を元山沢にみんな呼んで盛大で壮麗な祭りにしよう。幾らかかってもいい、金は私が出す」

助役が言い終わる前に、Mが大皿を掲げたまま静かな声で言った。
「祭りには賛成だわ。でもこの祭りは元山沢の祭りよ。ここにいる者だけで祭ればいいわ。この大皿だって、大勢の目には触れたくないはずよ。私たちだけで楽しいお祭りにしましょう。私は御輿がいいと思う。御神輿わっしょい。子供たちも喜ぶわ。私が御輿に乗ってもいい」
「ワーイ」
一斉に子供たちが歓声を上げた。修太と光男が「ワッショイ、ワッショイ」と囃し立てる。
これで決まった。助役の苦り切った顔が皿の隅から見えたが、知ったことではない。
カンナではないが、いつまでも負け続けるわけにはいかないのだ。
ただし、チェロの意見を入れて弦楽五重奏団は参加できることにした。御輿とモーツァルト。楽しくなりそうな予感がした。


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