6.ドーム館の黄昏

冬の早い夕暮れが、山地をいち早く夜に誘う。蔵屋敷の高窓は既に、闇に染まっていた。

まだ日のあるうちに、街へ行くと言って出掛けたきりのピアニストは、まだ戻ってこない。ベッドと応接セットだけのがらんとした蔵屋敷の広間に、光男は一人で取り残されていた。暖房は十分すぎるほどだったが、外の冷気が檜張りの床を這って、足元から股間に上ってくるような気がする。

光男は素っ裸で、蔵屋敷に二本直立する巨大な柱の一本に、鎖で繋がれている。細い首筋に頑丈な犬の首輪が巻かれ、首輪から延びた太い鎖が、柱に埋め込まれた鉄の金輪に錠で止められている。

光男は所在なく、床にしゃがみ込んでいる。剥き出しの丸い尻が微かに震えた。二度目の尿意が襲ってきたのだ。肌に感じるヒーターの暖かさを拒絶するように、腹の底から全身へ寒さが襲う。そっと辺りを見回してから中腰になり、白いバケツに大きなペニスを向けた。弱々しく細い澪がペニスの先からバケツに落ち、底に溜まっていた尿に当たって情けない音を立てる。

恥ずかしさで全身が赤くなったが、二回目の今回は、屈辱より諦めが先に立った。
悄然とした視線の先に、小さなクリスマスツリーが見える。応接セットのテーブルの上で、ツリーを飾るイルミネーションがきらめいている。後一週間でクリスマスだった。情けなさが、ひとしお光男の胸に染みる。

残った尿の滴が力無く足元に落ち、光男の右足を濡らした。思わず足をずらすと、足首を厳しく噛んだ足枷の鎖が鳴り、屈辱感が全身を走り抜ける。

光男は素っ裸のまま後ろ手に手枷をはめられ、両足を足枷で拘束されていた。両足首を拘束した一メートルほどの鎖の中央から、やはり一メートルほどの細い鎖が股間に延び、ピンク色の肛門からのぞく銀色の金属棒に繋いである。この残酷な拘束具のため、光男は床に座ることも、立ち上がることもできないでいた。肛門の中では、金属棒の先が傘のように開き、抜き取ることを許さない。

拘束具を尻に挿入していったのはピアニストだった。
信じられないほど理不尽な仕打ちが、光男に襲い掛かったのは三時間前のことだ。
朝から続くたまらない不安と焦燥感に耐えかね、光男は正午に市民病院を訪ねた。看護婦からピアニストの休暇を知らされ、薬をねだりに蔵屋敷を訪れたときは、優しく迎えられたと思っていた。鎮静剤を静脈に注射してもらい、見る間に晴れていく憂鬱に久しぶりのすがしさを感じた。開放感で心が弾み、ピアニストを誘うように裸になった。喜んでもらいたい一心で光男は床に這い、肛門を襲う痛みを覚悟して尻を高く掲げた。しかし、肛門に挿入されたものは、猛り立った熱いペニスではなく、凍り付くように冷たい金属棒だった。冷たい感触に鳥肌立った尻の割れ目で、小さな金属音が響いた。音と同時に、肛門深く挿入された金属棒が体内で膨れ上がるおぞましさが、背筋を貫いていった。
驚いて振り返った光男の目に、冷たく笑うピアニストの顔が映った。
「訳を知ったら、きっと光男も喜んでくれるよ」
平然と言ったピアニストは、光男の両手を後ろ手にして手枷で縛り、両足を足枷で拘束した。挙げ句の果てに、尻に挿入した金属棒から延びた鎖を足枷の鎖の中央で連結してしまったのだ。

拘束具で戒められた光男に、街に出掛けてくると言い残してピアニストが与えたものは、利尿作用のある薬に対処するための白いバケツだけだった。
悲惨すぎると光男は嘆く。薬剤で追い払った憂鬱が、また全身に襲い掛かってくる気がした。


静まり返った蔵屋敷に、遠くから低いエンジン音が聞こえてくる。
やっとピアニストが帰ってきたのだと、光男は思った。
車のドアが閉まる金属音が、二度響き渡った。訝しく思った光男が首を捻ったとき、自動ドアの開く音が聞こえた。ほのかなスタンドライトの照明だけだった蔵屋敷に、まぶしく明かりが点った。光男の白い裸身がピクッと震え、思わず柱の影に身を隠す。
引き戸を開けてピアニストが颯爽と入ってくる。厚手のツイードのパンツの上に、やはり分厚い黒のウールニットのジャケットを着ている。白いシルクシャツの襟元を、光沢のあるパールのスカーフが飾っていた。

「修太、遠慮せずに入りなさい。懐かしい人がいるよ」
ピアニストの楽しそうな声が、大きく響き渡った。
思いもよらぬ名前を聞いて、光男が大きく目を見開く。太い柱の影に頭を隠し、後ろ手に縛られた半身と尻を突き出した姿がユーモラスだ。白い裸身を躍らせるようにして、躊躇なく振り返る。
「修太、」
ピアニストの背後から姿を現した小柄な少年を認めて、光男が喜びの声を上げた。急いで立ち上がろうとする裸身を、尻から延びた短い鎖が意地悪く引き留める。

「ヒッー」
尻を襲う激痛に耐えかね、哀れな悲鳴が室内に満ちた。
修太の二メートル前で、醜い裸身が背を弓なりにして呻いている。六年振りに見る光男の姿だった。光男は中腰になって膝を曲げ、長い太股をぴくぴくと痙攣させている。股間から無様に垂れ下がった大きなペニスが、だらしなく左右に揺れる。

「光男はシンナー中毒なんだ。修太を迎えにいっている間は、鎖で繋いで置くしかない。蔵屋敷にある麻薬を盗むかも知れないからね」
思いがけないピアニストの言葉に、光男の裸身が真っ赤に染まった。すかさず、ピアニストが追い打ちを掛ける。
「ほら、光男がうれしがっているよ。お尻を虐められるのが何より好きなんだ。まだ、子供から抜けきっていない、弱い人間だ」

修太の視線は光男の股間に張り付いたまま動かない。無様だが、見るからに大きなペニスが修太を挑発する。一緒の中学校に行っていたら、このように虐められる光男を修太が守ったはずだと確信する。醜いまでに弱々しい裸身が、懐かしがって修太を求めているのだ。

光男を見下ろして立ち尽くす修太に、ピアニストが優しく声を掛ける。
「どうした修太、傷が痛むのかい。まだ一週間しか経っていないが、傷口を縫った糸は自然に溶けてしまうよ。もう普通に歩いて大丈夫だ。さあ、ソファーに掛けなさい。それとも、幼なじみの光男を点検するかい」
黙っている修太の肩を抱いたピアニストが、ゆっくり光男に近寄っていく。尻と足枷を繋ぐ短い鎖を極限まで延ばし、中腰になった苦しい姿勢で顔を上げている光男の前に、二人が立った。

「修太、面白い拘束具だろう。僕の父が作ったものだ。捕らえた者を手放したくないという執念が滲み出ている。尻に入れた栓と足枷の間を短い鎖で繋ぐというアイデアなど、ほとんど悪魔的だよ。この拘束具は八年前、Mの裸身を終日責めていたものだ。隅々までMの体液が染みついている」
光男の裸身がまた赤く染まった。口元が歪み「Mッー」というくぐもった呻きが口を突き、全身が激しく震えた。手足を戒めた鎖が鳴り、尻から突き出た金属棒が肛門を責める。見る間にペニスが直立し、大きく勃起していく。
股間を見つめる修太の目が、爛々と輝く。

「Mを慕って勃起したんだ。修太、ペニスを口に含んでやれ。Mが喜ぶ」
冷ややかに言ったピアニストが、修太の肩を押した。
修太が見下ろす位置に、巨大なペニスが突き立っている。
「ヤメテッ」
声を震わして叫ぶ光男を無視して、修太は股間に屈み込んだ。光男が座り込めないように、ピアニストが首輪の鎖を素早く引き上げた。

目の前に屹立した巨大なペニスに、修太は目をつむったまま口を付けた。唇に熱い粘膜が張り付き、頭が空白になる。亀頭の大きさに合わせて口を開き、口中にそっとペニスを含んだ。顔を前に出すとペニスの先が喉に届き、息苦しさに咽せそうになる。お陰で冷静になった頭が嫌悪感を伝えたが、官能に咽ぶMの裸身の思い出が一切を追い払っていった。舌先で亀頭を包み込んで舐め回すと、巨大なペニスが一層大きくなり、頭上から光男の喘ぎが聞こえた。構わず舌でなぶり続けると、口中から強引にペニスが引き抜かれた。
見開いた修太の目の前で、痙攣する亀頭の先から白濁した精液が勢いよく宙に飛んだ。修太の胸の底で、安堵と憎悪が交錯する。

「光男はダメな奴だ。幼なじみの情けを無にした。Mが泣いているよ。修太、やはり、僕たちの選んだ道が正しいんだ。個人と個人の結びつきがいくら大切だろうと、その中に入ってもいけない弱虫が多すぎる。そのことに、Mは気付きもしない。本当に腹立たしい」
驚くほど憎々しい声で言ったピアニストが手に持った鎖を放し、光男の肩を手荒く突いた。たまらず尻餅をついた光男が、肛門から突き出た金属棒を床でしたたかに打ち、激痛に泣く。

「修太、ソファーに掛けなさい」
後ろ手に戒められた裸身を寝かせて泣き続ける光男を尻目に、ピアニストが修太に声を掛けて椅子に座った。促されるまま修太もソファーに座る。
「修太、分かったろう。Mの追い求めた官能など、所詮この程度のものだよ。とても信はおけない。やはり僕たちの体験だけに信をおき、目指すべき目標に効率的にアプローチすべきなんだ。車の中で聞かせてもらったが、都市工学を学びたいという修太の希望を僕は応援する。醜いもの、邪魔なものを取り去った計画的な都市の創造は、僕にとっても望むところだ。この市では今、僕の病院を率いるコスモス事業団が、新しい都市文化の創造を始めようとしている。長く、険しい道だが、混沌とした夾雑物を取り除いたすっきりした都市文化は、きっと新鮮で美しいだろう。たとえ、ゴキブリが住めなくなったとしても、僕はそれでいいと思っている」

じっとピアニストの言葉に聞き入っていた修太が、感動した声で答える。
「人を差別し、虐めなければ成り立たないような世界は作り替えるべきだ。僕もコスモスに入りたい」
「まず工学部に進学して、とことん勉強してからだよ。でも、コスモス事業団の理事長には会わせよう。幸い、先週から麻酔医の僕が、理事長の主治医になった。悲しいことに理事長は癌に冒され、もう助からない。しかし、明確なレールは敷いておいてもらわなければならない。死の淵に立った理事長は今迷っている。弱いもの、怠惰なもの、そして情けないほど不必要なものにまで、考えを巡らそうとしている。非効率なことだ。いち早く覚醒した者が全体をデザインすべきだという持論に、疑いを持ち始めてしまった。Mのせいだ」

「Mは全体を見ようとしない」
遠くを見るような目で修太が言い切った。柱に首輪を繋がれたまま、素っ裸で床に横たわる光男が、むせび泣きながら鎖を鳴らした。ピアニストが思い出を辿って言葉を続ける。
「八年前、両親にあの陰惨な拘束具で裸身を責められたMは、不思議に喜々として見えたものだ。騙された僕がMを解放したときは、両親は自分たちの世界に閉じこもっていた。Mがいなくとも、二人だけの世界に住めるようになっていたんだ。みんなMの仕業だった。その後も両親は羨ましいほど仲睦まじく、二人の世界にとどまっている。僕が入り込む隙間もない。しかし、それでは現実の世界は変わらないんだ」
「俺の両親も同じだ」
ふぬけたような陶芸屋と献身的なナースの、性にまみれた日常を思い浮かべながら修太が追随した。許されることではないと思った。祐子さえ腐りきっているのだ。Mの通り過ぎた後には何も残らない。狂おしいまでのエネルギーが皆、Mに吸い取られてしまうのだと思った。

「意見が一致したようだね。さあ、修太。服を脱いで裸になろう。一週間振りの、美しい裸身が見たい」
ピアニストが立ち上がり、修太に手を伸ばして優しく言った。
八年前にMの裸身を責め抜いた拘束具が、光男の裸身でまた鳴った。身悶えしながら光男は、目の前で繰り広げられるピアニストと修太の痴態を見つめた。止めどなく涙が流れ、床を黒々と濡らした。
ピアニストと修太の嬌声が聞こえ始めた頃、脱ぎ捨てられたピアニストのジャケットのポケットの中で携帯電話のベルが激しく鳴った。


「M、ドーム館に滞在してくれと頼んでおいて、三日も留守にして済まなかった」
ドームから差し込む星明かりを全身に浴びて、理事長の疲れた声が円形の部屋に響いた。
「暗くてよく見えなかったが、私がいなくてもMは裸でいるのか」
再び理事長の声が響いた。Mは素っ裸のままソファーに座っている。闇に目が慣れた理事長の目に、青白く浮き上がってくる豊かな裸身がまぶしかった。
「こんなに暖かな部屋で服は必要ないわ。理事長も脱いだ方がいい。ドームから見える星空と身体が一体になれるわ。来週はもうクリスマスよ」
星空から聞こえてくるような、ゆったりとしたMの声がドームに響いた。

「本当に済まないが、私は忙しい。もう、それほど時間も残されていない。成すべきことをしておかねばならない。明日から私は鋸屋根工場に移る。こんな浮き世離れした場所から事業の指揮は執れない。何よりも緊張感が大切なのだ。鉱山の町に計画した、三千人を収容する特別養護老人ホームの建設が国の認可になったのだ。建設費のほとんどを国が面倒見てくれる。鼻薬を嗅がせておいた厚生事務次官が上手に事を運んでくれた。さすがは高級官僚だ。後は、コスモスの運営の如何にかかっている。この地域の再開発も思ったより早く進むだろう。早くレールを敷いておかねば、後が気掛かりでならない。私は眠る間もないほど忙しいのだよ」
鉱山の町という言葉がMの耳を打つ。鉱毒で荒廃してしまった自然の回復も進み、イヌワシが営巣を始めたという人口四千人の町に、三千人を収容する老人ホームを建てると理事長は言う。まるで現代の姥捨て山だと思った。

「どんな必要があるというのです」
静かに言って立ち上がったMは、理事長に近付いていった。
「この地域にまったく新しい文化を創造するための布石なのだ。後ろばかり振り返っている頑迷な老人は、自然のまっただ中で朽ち果ててもらう。このまま何もせず、増え続ける老人たちと心中するわけにはいかない」
「理事長のように、前ばかり見ている少年のような高齢者もいるわ」
「私はもうじき死ぬ」
「答えになっていないし、死は誰をも襲うものです。自然の中に邪悪な人の驕りを持ち込んでも、虚しさが募るばかりです。さあ、一緒に自然のままの現実を見ましょう」
Mの裸身が理事長の背後に回り、前に回した手でカシミヤで織った柔らかなスーツを脱がした。そのままシャツのボタンを外し始める。

「悪いが、こんなことをしている時間はない。Mは飽きるまでここに住んでくれていいのだ。いいか、飽きるまでだ。一生でも構わない。私は悪いようにはしないと言った。信じてくれ」
「私が信じるのは、今という時間と、有るがままの現実だけ」
理事長の耳に寄せたMの口から、喘ぎに似た声が漏れた。手の動きを止めずにシャツのボタンを外し、ズボンのファスナーを下ろす。
「仕方がない。今夜だけは許そう。しかし後はない」
自分に言い聞かすように理事長は言って、自分でうなずく。

痩身の裸像に寄り添ったMはさり気なく左手を伸ばし、股間に垂れ下がったペニスを強く握った。理事長の冷たいペニスに、Mの掌の温かい感触が広がっていくのが分かる。理事長はMの手に曳かれるまま紫檀のテーブルの前まで進んだ。
Mはペニスを握ったままテーブルに上り、闇の中でじっと理事長の目を見つめてから手を離す。静かに屈み込んで、尻をテーブルに着けた。長い両足を十分に伸ばし、大きく股間を広げて仰向けに横になった。テーブルの前に立つ理事長が、無言で裸身を見下ろしている。

「相変わらず美しい。十分に成熟した肉体だ。しかし私には時間がない。せっかく空けた時間だが、ここに何の希望があるのだろう」
「後ろ手に厳しく縛り上げてください」
問いには答えず、理事長を見上げたままMが頼んだ。
見上げるMの目に、ドームいっぱいに広がる星空が映った。星空に紛れた理事長の黒いシルエットの中で、白い歯が光った。
Mの裸身に笑い声が落ちる。
「ハハハハ、縛りたければ自分で縛るがいい。そんなことをしている暇は、私にはない」
素っ気ない理事長の声で、Mはテーブルから立ち上がった。黙って壁際まで行き、部屋の照明を全部点灯する。まぶしい光が部屋中に満ち、均整のとれた豊かな裸身と、やせ細って大きな手術痕が走る初老の裸身を照らしだした。

「何をするのだ」
突然の光で照らしだされた理事長の痩躯が怒りに燃え、叱声が飛んだ。
「せっかく空けていただいた時間を、有効に使わせていただきます」

静かなMの声が光の中を走った。星明かりを失った天井のドームが黒々とした闇の半球となって頭上から落ちてきそうだ。
Mはソファーに置いてあった黒い麻縄の束を取って、再びテーブルに上がり、静かに正座した。Mの全身から異様な熱気が立ち上がってくるようで、理事長の身体が痛む。力無くMの正面の椅子に腰を下ろした。
Mは手慣れた手つきで、上半身に縄を走らせていく。真剣に自縛する姿をじっと理事長が見つめる。
豊かな乳房の上下に、厳しく二つの菱形の縄目を作った後、Mは座ったまま向きを変え、理事長に背中を見せた。両手を首筋近くまで上げて重ね合わせてから、静かな声で懇願する。

「理事長、お願いです。後ろ手を縛ってください。残念だけれど、一人では縛れない」
黙ったまま理事長が立ち上がり、請われるままにMの両手首を縛り上げた。Mが想像していたより力強い、厳しい縛りだ。
縛り終わった理事長は、また椅子に深々と座った。すぐ目の前に、後ろ手に緊縛されたMが、心持ちうなじを下げて正座している。豊かな尻の割れ目の下からのぞく、重ねられた足先が可愛らしかった。細く括れたウエストを中心にして、美しく上下に広がる裸身が、Mの呼吸に連れて密かに息付く。白く滑らかな肌が微かにうごめく様は、理事長に生の実感を伝える。白々とした光に包まれていても、いつしか、ゆったりと落ち着いた時間が部屋中を支配していった。

Mも理事長もずっと無言のままだ。黙って座る裸の背が、多くのことを理事長に語り掛ける。
後ろ手に高々と縛り上げられ、固く握られた手が僅かに緩み、両肩の筋肉が戒めに震える。可愛らしい足先に載せられた豊かな尻が、微妙に位置を変える。隠微な美が凝縮された肉体が、緊縛の中で解き放たれたいと悶えている。挑発するエロスに耐えきれなくなった理事長が、先に口を開く。

「M、世界はまさに、この美しい肉体まで滅ぼそうとしているのだ。Mがいくら、自分の美しさを認めなかろうと私は構わぬ。美が滅ぼされ、失われていくことを私は全身で防ぐだけだ。世界は変わっていく。変わらなければ滅びる。醜く老いさらばえた思想に、これ以上世界を委ねてはいけないのだ。清新で革新的な思想がこの世界を変える。私はそのための先駆けを、この地域の新しい人たちに提供するのだ。何故、Mは理解してくれない」
理事長の声を背で聞いていた緊縛された裸身が、ブルッと震えた。大きく息を吸い込むと、美しい裸体が広がり、暗いドームの果てまで膨らんでいくように感じられる。静かに息を吐いた裸身がうなじを立て、背を真っ直ぐにして低い声で問い掛ける。

「新しい人たちとは、私が知っている人なら、例えばピアニストやチハルたちを指しているのでしょうか」
「ピアニストは今、私の主治医をしている。チハルは個人的な秘書だ。二人とも自分の将来に夢を繋いでいることでは同じだ。夢を実現しようとするエネルギーも持ち合わせている。何よりも夢の実現を信じている。信じることが大切なのだ。それが絶望を切り開く唯一の道だ。M、お願いだから未来を信じてくれ。私はMにこそ、私の夢を継がせたい」
小さくMの裸の肩が落ちた。堪らない悲しみが込み上げてくる。こんなに聡明な理事長が何故、夢の実現などでなく、小さなものや日常的なもの、そこにでもここにでも転がっているような、些細なものを信じようとしないのだろう。無念でならなかった。

「前にお話ししたように、私には信をおくべきものなど有りません。夢もありません。だからといって、理事長の夢を妨害しているのでもない。ただ、理事長の素晴らしすぎる理想が、多くの人の気持ちをないがしろにしてしまうのを見ていたくないのです。押し付けられた夢は、たちまちのうちに悪夢に変わるでしょう。理事長同様、ピアニストもチハルも現実を見ようとはしません。性急な決断はなさらないでください」
言い終わったMは静かに腰を上げ、中腰になった。そのまま足を大きく開き、頭をテーブルに下ろしていき、尻の割れ目を理事長の前に高々と掲げた。隠すもののない股間が理事長の前に大きく広がる。赤い肛門がゆっくりと収縮してうごめき、猛々しく燃え盛る陰毛の中で鋭く突き立った性器が戦く。体液で濡れそぼった肉襞が誘うように広がっていく。その股間から、悲しそうな目をして逆立ちになったMの顔がのぞいている。

「理事長。こんな露骨な肉体をお見せしたことを、お怒りにならないでください。私はこれだけの人間なのです。そして、そのことを恥じてもいない。性的な関係の中でなら、私は何でもできます。それが私の喜びだし、あなたにも喜んでもらいたい。もし理事長が望むなら、この姿のままウンチをすることも厭いはしない」
「してくれるだろうか」
即座に理事長が答えた。股間で逆立ちになったMの両目を、炯々と光る視線が捕らえた。
「お望みとあれば」
理事長の突き刺さる視線を全身で受け止めたMが、下半身に力を込めた。理事長の目の前で、小さくすぼまっていた肛門がゆっくり盛り上がってくる。

「ハハハハ、ありがとうM。私も人々の日常の苦悩を癒すために、いかほどのことでも良いからしてみたいと思っている。しかし、私が排便する姿など、見たい者がいるはずもない」
Mの口元が笑った。盛り上がった肛門がまた、可愛らしくすぼまる。
「いいえ理事長。私は見たい」
Mの叫び声を聞いて、また理事長が笑い出した。痩せた裸身をのけ反らせ、子供のように笑う。股間越しに、逆立ちになって笑う理事長の顔が、Mに見える。少年のように邪気のない、明るい笑いだった。

しかし、その笑いがたちどころに消え、理事長の顔が苦痛で歪んだ。痩せた裸身が椅子から滑り落ち、Mの視界から消えた。代わって、耳に響く苦痛を耐える呻き声が、部屋中に満ちた。
Mは急いで起き上がり、身体を回して理事長を見た。毛足の長いアイボリーの絨毯の上で、裸身を海老のように曲げて呻く理事長の姿が目に飛び込む。Mはテーブルから飛び降り、理事長の顔の横に屈み込む。

「理事長、しっかりして」
大きな声で呼び掛けると、歯を食いしばった口元から一筋、血を流した理事長が上半身を起こした。両手を伸ばし、邪険にMを後ろ向きにする。震える両手でMの縄目を解き始める。
ようやく自由になった痺れきった両手で、再び床に倒れ伏して呻く理事長の裸身を抱き、耳元に口を寄せた。
「すぐ、救急車を呼びます」

Mの声に理事長が激しく首を横に振った。苦痛に歪む口から、やっとの事で言葉を紡ぎだす。
「救急車は駄目だ。私の書斎に行って、パソコンのキーを叩け。まずピアニストを電話で呼びつけろ。後はパソコンの指示通りにしてくれ。M、びっくりしなくていい。予定より早く麻薬が切れ、癌の痛みが襲ってきただけのことだ。うろたえずに、今言った通りにしてくれ。私は一人で我慢できる。急いでくれ」

理事長の裸身をゆっくりと床に横たえてから、Mは指示通り書斎に行った。後ろから、苦痛を耐える呻き声が絶えることなく続き、Mの後ろ髪を引く。
十畳の書斎の真ん中に、どっしりとした樫材のデスクが置いてあった。広い机上の中央に、一体型のパソコンが載せてある。Mはキーボードの前に座ってエンターキーを押した。真っ暗だったディスプレーが急に明るくなり、黒い文字に赤い縁取りをした「緊急」の画面が現れた。もう一度キーを押すと、ピアニストの名と携帯電話の番号が大きな緑色の文字で現れた。デスクの隅の電話を取って、間違えないように慎重に、長い番号をプッシュする。しばらく呼び出し音が続いてから、ピアニストの無機的な返事が聞こえた。

「私はM。理事長が自宅で激痛に見舞われました。身体を海老のように折り曲げて苦しんでいます。口元から血を流している他は、外見上の異常はありません。すぐ来てください」
「分かったM。幸い僕は自宅にいる。十五分後には必ず着く。セキュリテー装置を外して、玄関を開けておいてくれ。僕は勝手に家に入るから、Mは理事長の側にいてくれ。舌を噛まないことにだけ気を配ってもらいたい」
そのまま電話が切られた。再びパソコンのキーを押すと、緊急ファックスの自動送信システムが画面上に現れる。画面の指示通りマウスでスタートボタンをクリックすると、十人ほどの連絡先名簿が現れ、自動的にファックスの送信が始まる。席を離れようとすると、画面にチハルの名が浮かび上がった。二つある電話番号のうちの一つは祐子の家の番号だった。
画面を流れていく通信文に、Mは目を通す。


理事長よりチハルへ緊急指示
直ちに鋸屋根工場に向かへ。当座の準備だけを遺漏なく整えて私を待て。信頼できる者なら、助勢を頼んでも構わぬ。とにかく冷静に急げ。時間は残されていない。


理事長らしい、簡単すぎるほどの文面だった。夜道を鋸屋根工場に向かうチハルのエネルギッシュな姿が見えるような気がした。祐子も一緒かも知れない。Mは思わず笑い出しそうになる。

デスクを離れるときに、パソコンの横のセキュリテーパネルで玄関の錠を開け、警報を切った。これでピアニストは自由に入ってこられる。
理事長は、Mが離れたときと同じ姿のまま裸身を折り曲げて呻いていた。耳元にひざまづいて、緊急連絡が済んだことを大声で伝えたが返事はない。襲い掛かる苦痛を、目をつむって必死に耐えている。時折苦しさに口を開け、またきつく閉じ合わす。ピアニストの言った、舌を噛む恐れが胸元を掠めた。

Mは理事長の頬を強く叩き、痛みで目を開かせた。理事長の頭を背にして身体をまたぎ、よく股間が見えるように中腰になる。
「理事長、お願い。私の股間を舐め、乳房を揉んでください」
歯を食いしばって苦しそうにうなずく理事長の顔に股間を埋め、手を取って乳房を握らせた。痛みに耐える理事長の爪が乳房に食い込み、大きく開いた口が荒々しく陰部を這う。探り当てた性器を口に含み、震える舌先でなぶりだす。鼻から苦痛を訴える息が荒い。Mは身体を曲げ、顔を理事長の股間に埋めた。萎みきったペニスを口に含み、一心に舌で舐め回す。Mのリズムと、理事長のリズムが合うと、萎んでいたペニスが膨らんでくる。襲い掛かる苦痛の波を縫って、理事長の官能も高まっていく。
激痛から逃れ出ようと、理事長は性の細道を一心に走る。痛みと官能に身を焦がし、痩せた太股で力いっぱいMの頭を締め付ける。Mも理事長に応え、豊かな尻を前後左右に激しく振った。射精を間近にした喘ぎが、苦痛を訴える鼻息に混ざる。だが、理事長の射精を許すわけにはいかない。官能が極まった果てには激痛しか残されていないのだ。自らの舌を噛み切る恐れは十分にあった。Mはペニスをなぶる舌先を、微妙に調整した。


「ナースが戻って来たのかと思ったよ」
ドアの方から声が響いた。
ペニスを口に含んだまま見上げた目に、あきれ顔で佇んでいるピアニストが映った。後ろに修太を従わせている。修太の目に蔑みの色を見たとMは思った。口から勃起したペニスがこぼれ、亀頭の先から白濁した精液が、力無く滲み出た。

素早く二人の横に屈み込んだピアニストが、Mの乳房を握りしめた理事長の手を取って床に伸ばし、二の腕を黒いゴムバンドで止めた。明るい照明を浴びて浮き上がった静脈に慎重に注射針を刺し、僅かな薬液を注射した。途端にMの裸身の下で理事長の身体が弛緩し、穏やかな呼吸が戻る。恐ろしいほどの薬の威力だ。
「M、もう退いてくれていいよ。理事長は一時間ほど眠る。この場でいいから、ゆったりとしたものを着せ、毛布を掛けてやってくれ」
後ろ向きになったMに、ピアニストが声を掛けた。突き出された尻が卑猥に揺れている。
ピアニストの視線を痛いほど感じてMは立ち上がった。ぼろぼろに疲れ切った裸身を直立させ、明るすぎる照明の下にさらけ出した。

豊かな乳房を自ら縛った菱縄は今も、厳しく胸元を緊縛している。縄目から飛び出た乳房に、理事長が苦しさのあまり握り締め、爪を立てた手の痕が赤黒くなって残っていた。爪痕からは、うっすらと血が滲んでいる。しばらくの間、この手形は青々とした痣になって乳房に残るだろうとMは思った。

背中から延びた縄を引きずったまま、ガウンと毛布を取りに、Mは理事長の私室へ向かう。床を這う黒い二条の縄を、修太が靴で踏んだ。疲れ切ったMは、その場で背中から床に倒れる。頭を庇うために足を大きく開き、尻から床に落ちた。
大きく股間を開いた無様な姿勢で仰向けになった視界に、口を歪めて嘲笑う修太の顔が入った。

「修太の意地悪」
六年前の、小学校六年生の修太に言うような言葉が口を突いた。言ってしまってから甘えるような言葉を恥じたが、情け容赦なく修太の罵声が飛ぶ。
「Mは薄汚くなった。恥を知ったがいい」
素っ裸で自縛した縄目を晒し、股間を広げきったまま横たわるMの全身に衝撃が走る。
「何を言うの」
大きく叫んで立ち上がったMが、右手を一閃して修太の左頬を打った。真っ赤な手形を頬に付けた修太が、流れ出る涙を拭おうともせず胸を張って大声を出す。
「都合が悪くなると暴力なのか。Mはイジメッコと同じだ」
Mの下半身から頭まで、また衝撃が走った。ピアニストが冷たい声で追い打ちを掛ける。
「理事長が舌を噛む恐れがあると言った言葉に、Mは過剰に反応したんだ。しかし、Mがしたようなことをする者は、この世に一人も存在しない。Mは異常すぎるよ」

ついに異常者にされてしまったと、Mは思った。共にホームステイで過ごした家の子供が、揃ってMを拒絶する。もうMに、身の置き所はなかった。
「いいわ、私は理事長を連れて鋸屋根工場に行く。あなた達は帰ってちょうだい」
振り絞るようなMの声が、ドームの下に響き渡った。
「ダメだよ、M。パソコンに入力されている緊急時マニュアルを良く読んで欲しい。僕が呼ばれた以上、理事長の意志を遂行するのは僕の仕事だ。それが理事長の意志だ」
ピアニストの冷ややかな声が、円形の室内に流れた。
「分かったわ。あなた達は私を理事長から遠ざけたいのね。それなら、私が勝手にチハルの工場に行く。それでいいのね」
「別に止めはしない。後は意識を回復した理事長が決めることだ」
ピアニストの冷たい言葉に、Mが大きくうなずいた。

「M、見苦しいよ」
流れる涙を拭おうともせず、左頬に真っ赤な手形を付けた修太がなじるように言った。
「どうして」
尋ねる声に返ってくる答えはない。

素っ裸の股間から頭の天辺まで、冷たい風が一瞬のうちに吹き抜けていった。
Mの裸身が激しく震え続ける。


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