7.煉瓦蔵の裏で

ぼんやりと点る廊下の明かりの下で、バイクは五十五回目のダイヤルを回した。呼び出し音しか聞こえない受話器に大声で呼び掛ける。
「ユウコッ俺だ、すぐ来てくれ」
叫んでから受話器を乱暴に投げ出す。暗い天井をしばらく見上げ、また受話器に手を伸ばした。五十六回目のダイヤルを回す。
雷鳴を聞きながらバイクは、何回となく受話器を取っては、そのままダイヤルせずに置いた。やっと決心が付いて、祐子の番号をダイヤルできたときはもう、呼び出し音しか聞こえてこなかった。あっけない結末に、あれほど逡巡したことも忘れ、バイクは狂ったようにダイヤルを回し続けている。

たった一つ天井に灯した侘びしい明かりの他、広い廊下を照らす光はない。幅一・五メートル、長さ九メートルの真っ直ぐ延びた廊下の先は、闇の奥で直角に曲がって玄関に通じていた。
厚い檜を張った廊下に車椅子が直接置かれている。所々ささくれ立った板が、荒廃した旧家の様子を見せていた。

南に面した雨戸はすべて閉められている。三つ並んだ座敷の障子も立てられたままだ。電話を置いた奥は、台所と風呂場に通じていた。
「祐子」と力無くつぶやいてから、また受話器を戻した。
どこに祐子は出掛けたのだろうと思った。今日は土曜日だ。つい二か月前までは、祐子と連れだって散歩に出掛ける日だった。

あの夜を境に、バイクは織姫通りで祐子を待つのをやめた。無様な裸身を祐子の目に晒したことが恥ずかしかったのだ。しかし、クラブのママと天田に勧められるまま毎週末、淫らな姿態を舞台で演じた。性の回復への期待が、バイクをクラブへと通わせていた。あの夜下半身に点った小さな火は、ずっと消えずにいたのだ。だが舞台の上で、萎みきったペニスが勃起することはなかった。かえって、性感の火が点ったことで妄想が燃え広がり、しきりに祐子の身体を求めた。
舞台に上げられる度に恥辱で全身が戦いたが、勃起することで得られるかも知れない、祐子と同じ地平に恋い焦がれた。一方的に叶えられない夢ではなく、叶うかも知れない可能性へと、ぜひ這い上がりたいと思った。

しかし、妄想は妄想に過ぎない。いるはずのない祐子の姿を、手練手管に長けたチーフやナースの裸身に思い描いても、ついに虚しさだけが残った。
そして、夢が叶う前に一切が閉ざされることになってしまった。

今日の昼、初めて家を訪れたピアニストがすべてを見届け、因果を含めてから帰って行った。
「早く葬式を出せよ。バイクには、いい施設を捜す」
無理を通して、明日まで返事を待つことを了承させた。祐子に電話する気持ちも、その時生まれた。しかし雷鳴を聞きながら決心を固め、何度電話を掛けても祐子は出ない。
車椅子の背に頭を預け、大きく上半身を反らせた後、バイクはまた受話器に手を伸ばした。無音の受話器を耳に当て、ダイヤルに指先を当てた。
その時、背後の風呂場から物音が響いてきた。外の焚き口に通じる戸がギィーと高い音をたてる。

「バイク、いる」
はっきりと幻聴が聞こえたと思った。祐子の声が静まり返った屋敷中に響いた。ペニスの奥で、むず痒い感触が揺れた。


去って行くMG・Fのテールランプを見送った後も、祐子はマンションのエレベーターホールに向かわなかった。じっと、通りの向かいに佇む巨大な煉瓦蔵を見つめていた。分厚い煉瓦を通り越し、裏にあるというバイクの家を一心に思い描いた。

今夜バイクに会わなければ、もう会うことが出来ないかもしれないと思った。
ヒシヒシと周りから押し寄せて来る高くて厚い壁はもう、皮膚に張り付くところまで迫っている。もしかしたら既に、身動きが出来なくなっているのかも知れなかった。少なくとも、後回しには出来ない。明日では間に合わない。一切の出口が閉ざされ、壁を打ち破ることも、潜り抜けることも、迂回することもできなくなるかも知れない。

今夜私は、サロン・ペインに行き、新聞社でMとも会ったのだ。後は自分自身の行動しかない。
祐子は、黒々としたシルエットを路上に映す、煉瓦蔵の巨大な壁を見据えたまま織姫通りを横断した。

右手に重厚な煉瓦の壁が続く路地に足を踏み入れる。
幅が一メートルちょっとの狭い路地だ。左手は高さ二メートルの黒い板塀が続いている。天井だけが開いたトンネルに入って行く気分だった。見上げると、頭上に細長く切り取られた夜空が見える。熱く湿った大気の中で、赤い星が瞬いていた。

二十メートルほど路地を歩くと道が途絶える。正面を塞ぐコンクリート塀の前で、直角に折れる。
右手に続く煉瓦蔵の背後が途切れたところに、こじんまりとした門があった。左右どちらの門柱にも表札はない。
家を間違えたのだろうかと、弱気な考えが浮かんだが、一軒しかない屋敷を間違うはずもない。気を引き締めて門をくぐり、茂り放題の植え込みをかき分けて玄関の前に立った。しかし、玄関の戸はビクともしない。小さな声でバイクの名を呼んでみたが、応答のあるはずもない。大声を出すのは憚られる雰囲気だった。

気を取り直し、足下の土に刻みつけられた車椅子の轍を追って、南に面した庭に回る。大きな平屋建ての屋敷が全体を現す。しかし、庭に面した廊下には、しっかり雨戸が立てられている。仕方なく、一番奥に突き出している勝手口に向かった。月明かりの他には、隣の家の庭に立つ外灯の光しか射さない。暑く暗い大気が白い服をグレーに染め上げてしまうようだ。

勝手口と見えたところは、風呂場だった。使われなくなった外の焚き口の横に潜り戸がある。
「風呂場の横の潜り戸が開いたままなんだ」と、サロン・ペインの自動ドアの前で、ピアニストが囁いた意味不明の言葉が甦った。

祐子の行動を予期したように符合する言葉に驚いたが、別に疑問は感じなかった。とにかくバイクに会わなければ、これからの道はないと、固く心に決めていた。
ごく自然に潜り戸に手を掛け、力を入れて手前に引いた。ギィーと音を立てて戸が動いた。ピアニストの言ったとおり戸は開いていた。


「祐子、ほんとに祐子なのか」
風呂場の奥の闇の中から、バイクのうわずった声が響いた。
「ええ、私よ」
潜り戸に半身を入れたまま祐子が答える。
「よく来てくれたね、祐子。何度も電話をしたんだ。足下に気を付けて上がってくれよ」
急に風呂場の電気がついた。小さな照明だったが、十分明るく感じた。広い風呂場だった。畳一畳分ほどはある木の湯舟の前に、高い簀の子の洗い場があった。廊下から板が渡してあり、車椅子のバイクが入れるように作ってある。簀の子の隅には車止めも用意してあった。下は打ちっ放しのコンクリートだ。
「風呂場から人を迎えるのは、今日二回目だよ」
「えっ、誰が来たの」
簀の子に渡した板まで出て来たバイクが、うれしそうな声で言ったが。問い返した祐子には答えず、廊下に上がるように促す。
靴を脱ごうと背を向けた祐子が小首を傾げ、またバイクを振り返った。開けた潜り戸から侵入した外気が室内の空気と混ざり、妙な臭いを嗅いだと思ったのだ。
最近、同じ臭いを嗅いだ記憶が、鼻の奥に残っていたが思い出せない。
「バイク、何か臭わない。変な臭いよ」
「古い家だから黴の臭いかな。それとも暫く風呂に入らないせいかな」
「いやね。お風呂に入らなければ汗臭くなるわ」
言ってしまってから、バイクのプライドを傷つけてしまったようで、心が痛んだ。耐えられないほどの臭いではない。

話題を変えるように、苛立った声でバイクが祐子を急かせる。
「靴は脱がなくてもいいよ。車椅子で汚れているからいいんだ」
「いえ、脱いで上がるわ」
急かせるバイクに背を向けて靴を脱ぎ、六十センチメートルほどの高さがある廊下に長い足で軽々と上がった。車椅子には不向きな造りだと思う。
「さあ、部屋の方に行こう」
「私が押すわ」
バイクの後ろに回って車椅子の取っ手を握り、ゆっくりと押して行った。
「散らかっているけど、俺の部屋がいい」
ポツンと電話の置かれた廊下の横の襖を指差す。
大きく襖を開くと、後ろからバイクが声を掛ける。
「柱の下にスイッチがある」
手探りで柱をなぞると、車椅子のバイクがちょうど手を伸ばして届くところにスイッチがあった。

高い天井から吊り下げられたシャンデリアが、複雑な光を落とした。あまり趣味がいいとは言えない照明だったが、不思議な雰囲気を十畳ほどの部屋に与えている。和室を改造した部屋は、厚い板を張ったフローリングの上に、所々が擦り切れた絨毯が載せてあった。
奥の壁沿いにゆったりとしたロー・ソファーと椅子が置かれ、前に大きなテーブルがある。開きっぱなしのクロゼットを挟んで、ダブルのロー・ベッドが置いてある。乱雑にベッドカバーが掛けてあった。
部屋の中央には何もなく、大きく空いている。部屋全体が車椅子で動きやすい配置になっていた。

「祐子、奥のソファーに座れよ」
後から入って来たバイクが襖を開けたまま、席を勧める。
エアコンがない割には、むっとする暑さは感じなかった。締め切っているにも関わらず、空気が流動しているのが肌で感じられる。自然と暮らす昔の人の知恵が伝わってくるようだ。
「本当によく来てくれたね。何度電話しても留守なので、マンションに行って待っていようかと思っていたところだった」
テーブルを挟んでソファーに掛けた祐子に、バイクが熱い声で同じことを言った。本当に言いたいことを言い出しかねている素振りに見える。

「サロン・ペインに行っていたの。新聞社でMとも会った。バイクに協力しようと決心が決まったから、突然訪ねて来たの」
「俺に協力するって、何のこと」
バイクの喉仏が大きく動くのが見えた。いつも意地を張っているのだ。
「サロン・ペインのチーフは、素っ裸になって股間を縛らせることだと言ったわ」
あっさり言い切っても、何の動揺も感じなかった。顔も赤くならない。やはり、バイクと対等の立場にいないということなのだろうか。祐子は焦りに似た悲しみを感じた。
かえってバイクが動揺した。脂ぎった顔が細かく震える。何回となくまばたきした後、どもりながら言った。

「そんなこと、して欲しくない。俺は本当の姿を、祐子に知って欲しいだけだ」
「もう、知っているわ。今夜は、私の本当の姿を知ってもらいに来たの」
口を開こうとするバイクを制して、祐子は立ち上がった。
「本気よ。見て」
白のタンクトップを脱ぎ、麻のパンツを脱いだ。

首に掛けた金のネックチェーンだけになった裸身が、古風なシャンデリアの明かりを浴びて白く輝く。剃り上げたばかりの股間で、小さな性器が固くなった。両の乳首も上を向いて震える。マンションで裸身を見せたときと、まったく意気込みが違うのだ。

「さあ、バイク。私を縛って好きなようにして。ペニスが堂々と勃起して、射精するまで私を責めて」
祐子の裸身を見上げるバイクの目が怪しく光った。車椅子に乗った全身が小刻みに震える。
「いいのか」
「当たり前よ」
背筋を正して言い切った祐子を、振り扇ぐように見つめたバイクが車椅子を回し、ベッドの方に向かう。

自力で車椅子から降り、ベッドに腰を掛けたバイクが自分を納得させるように大きくうなずいてから、しっかりした声で命じた。
「祐子、こっちに来て、俺の服をとれ」
バイクの前に裸身を屈め、祐子は青いアロハシャツのボタンを外した。シャツの下は素肌だった。プーンと汗の臭いが鼻を打った。
何気ない顔で腰のベルトを外し、ズボンを脱がせ、青いトランクスを脱がせた。股間からムッとする臭いが立ち上る。細い両腿の間に、陰毛に埋もれたペニスが、縮こまった顔を見せた。汚れきった股間だった。

風呂に入っていないと言うバイクの言葉は本当らしかった。ベッドに座った裸身から、獣の臭いが部屋中に立ちこめた。祐子は我慢してバイクの前で正座する。
バイクの目の前に、背筋を伸ばして正座した祐子の頭があった。心持ちあごを引き、真っ直ぐバイクの目を見上げる姿が輝くばかりに美しかった。股間で萎みきったペニスの中で、ポッと点った火が大きく燃え上がる予感がした。ベッドのサイドボードに手を伸ばし、黒い縄の束を取り出す。

祐子は両膝を擦って後ろを向き、長い両手を背中で組んだ。姿勢を正したままうなじを下げ、バイクが縛りやすいように少し上体を前に屈めた。
「容赦せず、きつく縛ってください。身体が感じる痛みは、みんなバイクの傷みだから、遠慮せずに私に分けてください」
背に交差した両手が荒々しく握られ、手首をザラザラとした縄の感触が襲った。即座に、全身の皮膚が緊張する。もう引き返せはしない。祐子はじっと目を瞑って、首筋近くまで引き上げられた後ろ手を固く握り、ヒシヒシと縛られる痛みに耐えた。

ほっそりした首の下で結び目を作って、二重になった黒い縄が乳房の上下を二巻きして背中で止められた。
「前を向きなさい」
バイクの両手が愛おしそうに両の乳房を撫で、乳首を摘む。
「ヒッ」
初めて乳首を摘まれた祐子の口から、短い悲鳴が洩れる。
何度も、何度も、飽きることなくバイクは縄目からこぼれた乳房を撫で、強弱をつけて乳首を摘んだ。祐子の口を突く痛みの声がいつしか、悩ましい呻き声に変わる。
言い表せないほどの甘い切なさが両の乳首に満ち、これまで感じたこともない熱い感覚が祐子の下半身に集中する。剃り上げた股間の奥で、じっとりとした感触が溢れ出した。バイクの荒い息遣いが、更に気持ちを高める。

別の黒縄を取り上げたバイクが、乳房の谷間で上下の縄を一つに結わえた。両の乳房に鋭い痛みが走り、縄で挟まれ醜く変形した乳房が、縄の間から洋梨のように突き出された。
バイクはそのまま縄を下ろし、祐子を中腰にさせた。縄でウエストを二巻きし、臍の下で結び目を作った。余った二条の縄尻にも大小二つの結び目を作る。
「この縄尻で祐子の股間を縦に縛るよ。痛いけど我慢しなさい。身体の中に二つの結び目を入れるけど、祐子は処女だから大きい方を肛門に入れる。さあ、後ろを向いて膝を曲げ、尻を高く突き出しなさい」
祐子は言われるままに後ろを向き、後ろ手に緊縛された不自由な体で、尻を高く掲げた。

「膝を折って両足を広げなさい。尻の割れ目を一杯に広げるんだ」
不自然な姿勢で突き出した尻を、バイクの手が撫で回す。外気に触れた股間が一瞬、寒さを感じた。
じっとり濡れた陰部をバイクの指先が這い、固くなった性器の先をつつく。溢れ出した愛液を指先で掬って、性器と肛門に塗り込めるようにして指を這わす。再び祐子の喘ぎが激しくなった。

反応を見透かしたように、バイクは素早く二本の縄で性器を挟み、縄の結び目を解きほぐした陰門と肛門に挿入した。
突き出した尻の割れ目から脳へと、鋭い刺激が祐子の裸身を貫いていく。
これがチーフの言っていた、股間を縛られることかと実感した。過酷な縄目だった。
「ヒィー」と長く尾を引いた呻きが、残酷に股間を割られた祐子の口に溢れた。

バイクの耳に祐子の悲鳴がこだました。研ぎ澄まされた聴覚が祐子の悲鳴を、喘ぎを、呻き声を、一つ残さず聞き取る。指先から伝わる陰部の温もりや、固く突き立った性器の感触、まといつく肉襞、つぼまっては開く肛門の動き。そうした一切の刺激が今、視覚に収束する。
白く透き通った尻の暗い割れ目で、祐子の秘密がすべて蠢いている。剃られたばかりの陰毛が、ごま塩のようにピンクの肛門の周りを飾っている。その中央を割って残酷に走る二本の黒縄。縄に挟まれて突き出された固く尖った性器。不自然に膝を曲げて押し開いた太股の裏側が、微かに震えているのも見える。

バイクの五感のすべてが官能に燃え上がる脳で統合され、凄まじいエネルギーとなって股間へと落下する。糸のように細くなったペニスの隘路へと、全ての官能が突き進んだ。
ペニスの奥で点った小さな火を目指し、奔流となった官能は将に、細すぎる隘路を突き破ろうとしていた。

「ユウコッ」

高い喘ぎ声がバイクの口に溢れた。全裸後ろ手縛りに緊縛され、股間を股縄で縦に割られた祐子が振り返ってバイクの目を見た。

「祐子、お願いだ。ペニスをくわえてくれ」
苦しそうに首を振って喘ぐバイクに頷き、祐子の縛られた裸身が屈み込んで、ベッドの上にバイクの裸身を押し倒した。細い膝が曲がったまま、上を向いた股間に顔を埋め、祐子は萎んだままのペニスを口に含み亀頭に舌を這わせた。頭の上で、苦しそうなバイクの喘ぎが一層高まる。

「祐子、位置を変えてくれ。俺の口に祐子の尻を」
祐子が離れるとバイクは、両腕に力を入れて自分の身体をベッドの中央に運んだ。すかさず祐子がバイクの上に跨る。祐子の素早い動作に、股を割った縦縄が性器と肛門を鋭く苛む。
祐子はバイクの顔に尻を向けて両足を開いて立った。そのままバイクの股間に顔が入るようにして屈んで行く。ベットに膝を突き、尻を高く掲げたまま股間に顔を埋めた。舌先で小さなペニスを捜し当て、口に含んだ。祐子の尻に回したバイクの手が股縄を解く。そのまま両手で祐子の尻を割開き、狂おしく股間に舌を這わす。

二人の口と舌が、それぞれの官能の高まりを計りながら、目まぐるしくお互いの股間を舐める。喘ぎ声が錯綜し部屋に満ちた。
祐子の舌先で、バイクのペニスが動いている。ごく僅かな動きだが。柔らかな肉の塊が確実に膨張していた。後ろ手に縛られた手を固く握りしめて、一心に祐子はペニスを舌で愛撫した。バイクの全存在が今、私の口の中にあると確信した。私の中でバイクは変わっていくのだと思い、うれしさが全身を貫く。バイクの舌が這う股間が熱く燃え上がっている。

ペニスを遮断していた官能の隘路が、将に突き破られようとしていた。勝ち誇ったように奔流となって、熱い炎がペニスを内部から煽る。バイクの口を勝利の雄叫びが襲う。叫びはすべて祐子の股間に吸い込まれていく。いつの間にか怪しく振り立てられる祐子の尻に負けじとばかり、バイクも一心不乱に腰を使った。

未熟な二人の性が、官能の極みを演出しようとしていた。
ペニスをくわえ込んでいた祐子が口を離し、姿勢を正した。目の下に、細い両腿の付け根で大きく屹立したペニスがあった。十分に勃起して怒張したペニスは、バイクの全人格を象徴するように誇らしく直立している。
祐子はバイクを跨いだ膝を戻し、屹立したペニスに向かって正座した。姿勢を正してからゆっくりと身体を前に倒し、後ろ手に縛られた裸身のバランスを取りながら、顔をペニスに近付けた。猛々しく勃起したペニスの先を一回舌で舐め、愛おしそうに口に含んだ。
「ウーンッ」
有り余る満足感が声になってバイクの口から漏れた。

「バイク、私の中に射精して」
一言いって立ち上がった祐子は、向きを変えて身体を跨ぎ、バイクの顔を見下ろしながらペニスの上に尻を下ろして行った。
熱く濡れた祐子の股間に、更に熱いペニスが触れた。全身がスパークしたように震え、さらなる官能を求める。
びっしょり濡れた股間を固い肉の棒がしなやかに滑る。粘膜と粘膜が触れ合う隠微な感触に陶酔し、全神経が陰部に集まる。優しく体内に導き入れようとしても、勃起したペニスは意地悪く股間を滑り回る。じれったさがこみ上げ、後ろ手に縛られた両手が自由を求めて悶えた。

「手を使って」
目の下で固く目を瞑ったまま喘いでいるバイクに声を掛けた。
祐子の声が聞こえないのか、バイクは苦しそうに顔を左右に振り続けるだけだ。
「根性無しめ」
声に出さずにバイクを叱責した。この期に及んで赤信号はないと思った。たとえ正面衝突しようが、アクセルを一杯に踏みつけるのが男と女だ。私は遊びじゃない。
改めて姿勢を変え、直立したペニスの角度に合わせて尻を掲げた。開いたままの襖が気になったが、やるときはやるんだ。私は今夜、性の狩人になる。
出来る限り陰部の力を抜き、滑りやすい亀頭を肉襞で包み込んでから、静かに、慎重に尻を下ろしていった。

鈍い痛みが陰部に広がっていく、大きく空いた隙間を更に大きい巨大すぎる存在が、強引に埋めていく。巨大なペニスを付け根まで呑み込み、バイクの股間にぴったりと尻を着けると、何物にも代え難いほどの満足感が全身を支配した。そのままの姿勢でそっと息を吐く。下腹部を圧した存在の大きさが、まるで自分自身のように感じられ、醜く目を瞑ったままのバイクがなおさら愛おしくなる。ああ、私もバイクも変わったんだと、理由もなく実感した。

その時、バイクの口から獣の吼え声のような音が響き渡った。強い力で身体を捻る。後ろ手に緊縛された祐子の裸身がバランスを崩した。途端に、股間を満たしていたペニスが、逃げるように引き抜かれた。
横を向いたまま泣き咽ぶバイクの股間で、震えるペニスの先からいつ果てるともなく、白濁した精液が滲み出していた。

「バイクの根性無し」
今度は大きく声に出して叫んだ。バイクの泣き声が一層高くなった。私の中で射精できないなんて、本当に根性無しだ。


鼻を啜っているバイクに縛った縄を解かせながら、祐子が冷たく言った。
「お風呂に入れるの。バイクの身体は臭かったわ」
全身を小さくしたバイクが黙って頷く。
「外から焚くんでしょう」
「今は大型のボイラーがある」
「じゃあ、毎日入らなくては駄目よ。今夜は私も一緒に入る」
言い捨てて祐子は、バイクをおいて風呂場に向かった。
ボイラーの温度を調節し、蛇口を一杯に開いて大きな湯舟に湯を入れた。もうもうと風呂場を被う白い湯気に包まれた裸身を、突然冷たい感覚が走った。バイクと一緒に暮らしているはずのお婆さんは何処にいるのだろう。湯気の中で白い肌が真っ赤に染まり、続いて全身に鳥肌が立った。襖を開け放したまま、明るい照明を浴びてあられもない姿態を晒したのだ。たとえバイクが、とてつもなく非常識だったとしても、お婆さんが在宅ならばできない行動だと思った。やはり天田が心配したとおり、入院しているのかも知れないと思う。風呂に入っていなかったバイクのことも得心がいく。

祐子はやっと胸をなで下ろした。湯舟の湯ももう、七分ほどになっている。
「ずいぶん早く湯が入るだろう」
背後に声が聞こえ、素っ裸のまま車椅子に乗ったバイクが、照れくさそうな素振りで廊下から渡された板を渡って来た。
車椅子を車止めに乗り上げたが、一人で降りることができない。降りるための台がないのだから当然のことだった。祐子が手を貸して簀の子の上に下ろした。改めて裸身を見るとずいぶん汚れている。嫌な臭いも、また鼻を突いた。

こんな汚い裸身を抱いたのかと思うと、初めての体験が情けなくなるが、初めての体験を理由にきっぱりと無視する。
桶に湯を汲んで何杯も、バイクの頭から浴びせた。
滑らないように気を付けてバイクを支え、そっと湯舟に浸ける。頭全体が湯の上にあることを確かめてから、隣に入った。
二人とも黙ったまま目を瞑って温めの湯に浸かった。全身に沈殿した疲労を、ゆっくりと湯が揉みほぐしてくれる。
祐子は思いきって頭全体を湯に沈めた。髪が濡れてしまっても、家まで二分の距離だ、気にすることはなかった。

「いいな祐子は、思い切ったことができて」
今夜のことで皮肉を言われたと思った祐子は、濡れた髪を振ってバイクを睨んだ。
「俺なんて風呂に入るのは命がけなんだ。頭まで潜ろうものなら浮力でバランスを崩し、溺れてしまうかも知れない」
確かにそうだと思った。人の痛みが分からぬものは救われないと、自らの不明を恥じた。
「バイクも一人で大変ね。お婆さんは入院したの。退院するまで、私が毎日来てもいいのよ」
「いや、お婆さんは家にいるよ。ただ、俺の世話ができなくなった。まあ、風呂が困るくらいなもんだけどね」
湯でほてった祐子の背筋を、また冷たい感覚が掠めた。やはりお婆さんは家にいたのだ。確かめないまま高ぶりに任せ、バイクを誘った自分が、今更ながら恥ずかしくなった。まだまだ未熟なのだ。

悄然としてしまった祐子にバイクが声を掛けた。
「そろそろ上がろうか。二週間振りの風呂で熱くなってしまった」
湯舟の中でバイクを支え、簀の子に上げてから祐子も上がり、造り付けの棚からバスタオルを取ってバイクの全身を拭った。ざっと自分の体を拭いてから、バイクを車椅子に乗せ、廊下に出る。二人とも素っ裸のままだ。祐子は、いつお婆さんに出会うかと思うと、心配でならない。

真っ直ぐバイクの部屋に入ろうとすると「待って」と押し止められた。
「祐子、このまま廊下の先まで行ってくれないか。お婆さんに会って欲しいんだ」
非常識なバイクの言葉に、祐子の裸身が怒りに震えた。たとえセックスをしたからといって、素っ裸のまま家族に会わせようという心理が理解できなかった。
「いやよ。どんな格好か見てから言って」
「お婆さんは分かりはしない。むしろこの格好がいいんだ」
動じる風もなく、かえって真剣な声でバイクが答えた。
「そんなに、お婆さんは良くないの。駄目よ、びっくりして死んでしまうわ」
「もう、死んでいるんだ。死体に会うのはいやかい」

信じがたい言葉に全身が鳥肌立った。しかし、嘘ではないだろうと、鮮明になった訪問時の記憶が冷静に答えた。潜り戸を開けて、風呂場を通ったときに嗅いだ変な臭いの記憶だ。水道山の下の老人ホームで、第一ヴァイオリンの老女の死体から漂っていたのと同じ臭いだ。死臭だった。死の臭いがいっぱい、この屋敷に立ちこめていたのだ。知らずに祐子は裸身を晒し、官能を追った。知っていたバイクも同じ性の道を歩み、甦ったペニスから射精さえしたのだった。過ぎたこととはいえ、戦慄しないわけにはいかなかった。

「祐子、そのままの姿をぜひ、死んだお婆さんに見せて欲しいんだ。きっと喜ぶ」
過酷な言葉だった。いくら自分で求めたこととはいえ、これまでの日常と比べ凄まじいほどの変わりようだった。ここまで人は、変わってしまっていいものだろうかと思う。私はまだ、十五歳なんだ。
しかし祐子は、きつく歯を食いしばってから、鳥肌の立った裸身を震わせ、大きく息を吸って廊下の奥へ向かった。忘れることの出来ない、耐え難い死臭が、肺の奥深くまで入り込んでくる。

廊下の突き当たりの座敷の前で、車椅子を止めた。
無造作に手を伸ばしたバイクが、襖を一杯に開いた。強い死臭が鼻孔を打つ。
八畳の和室の中央に布団が敷かれ、薄い夏掛けを被って小さなお婆さんが横たわっているようだった。天井から吊った照明が弱い光を落としている。
バイクの車椅子の後に祐子も続いた。歩く度にチクリと股間を刺す、陰毛の剃り跡が辛うじて勇気を与えてくれる。

布団の横に車椅子を進めたバイクが、祐子を振り返った。
「夏掛けを全部剥がしてやってくれ。お願いだ」
もう躊躇が許される場面ではない。言われるまま祐子は、夏掛けの端を持って一気に足下までめくった。
固く萎びきった、褐色のねじ曲がった死体が眼下にあった。強烈な臭いを別にすれば、人の死体とは見えないような屍だった。異国の神像が安置されているようにさえ見える。裸のまま、手を上に差し招くように延ばしている。肋骨の浮いた薄い胸で、萎みきった風船みたいに張り付いた乳房だけが生々しかった。

祐子は涙も出ない。突きつけられた圧倒的な死が、ただ深い悲しみだけを運んで来る。
「俺を風呂に入れた後、自分が着替えようとしている内に、突然倒れてしまったんだ。昼来たピアニストは心臓の発作らしいと言うが、無念だったと思う。俺のことを不憫がって、先には死ねないといつも言っていたんだ。無念さが死に顔に溢れていた。だから俺は、そのままにしていたんだ。不憫がられないように変われるかも知れなかったんだから。どう足掻いても無理だったが、祐子のお陰で、もう独りでいられる。だからぜひ、お婆さんに会ってもらいたかったんだ。本当にありがとう」

祐子の頬を始めて涙が伝った。懸命に自分の道を求めざるを得なかった、バイクのために流す涙だった。悲しすぎる人たちのために泣いた。

「訪ねて来たピアニストにお婆さんの死体が見付かり、明日、警察に届けることになった。もう会えなくなるかも知れないが、祐子のことは忘れない。俺は独りでいられるんだ」
「そんな勝手は許さない。お婆さんの代わりに毎日私が来る。バイクが自立するためにずっと協力する」
バイクの顔が苦痛に歪んだ。車椅子の肘掛けを両手で握り、力いっぱい身体を持ち上げた。剥き出しの股間で陰毛に埋もれていたペニスがむっくりと頭をもたげ、見る見るうちに固く勃起した。

「勝手な言いぐさだが、いつまでも祐子を素っ裸にして、股間を縛り上げているわけにはいかない」
確かにそうだと祐子も思う。チーフの言っていた協力の内容の陳腐さが今、痛い程良く分かった。
しかし、もう後に引くわけに行かなかった。帰るための橋など、初めから無かったのだ。死体を前にしたバイクは、独りでも生きていけるとは言ってはいない。お婆さんと同じ道を選ぶかもしれなかった。

後から後から流れる涙は、決して祐子の心を清浄にはしない。決まり切ったことだと心の中で言って、なおも祐子は泣き続けた。


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