7.結婚

工事現場で誘導灯を振り続ける日が三日続いた。この間Mは、ピアニストから返送されてくるはずの婚姻届をひたすら待ち続けた。言い古されたことだが待つ身はつらい。日毎に焦燥が募っていった。今日の昼休みには書留の控えを何度となく見てしまった。心身ともに疲れ切って富士見荘に帰った。汗みずくになった身体を風呂の湯で揉みほぐしたが疲労は消えない。浮かぬ顔で部屋に上がっていくと、茶色の封筒を手にしたお菊さんが待っていた。

「ほら、待ちに待っていた便りが来たぞ。素っ裸になってとくと見ろ」
お菊さんの声を聞いた瞬間、火照った顔が真っ赤に染まった。慌てて封筒に手を伸ばすと裸身に巻いたバスタオルが意地悪くむしり取られた。お菊さんの視線が無毛の股間に吸い寄せられる。電気虫に刺された性器が無惨に赤剥けになっていた。慌てて背中を向けた。今度は無数の鞭痕が赤黒い痣になって残る尻が露になってしまった。

「ほう、折檻されたのか。苦労したな。これも美しく生まれた者の定めだ」
お菊さんがぽつりと言った。裸身に残る数々の傷跡を目にしても動じる気配はない。さり気なく手を伸ばして鞭痕の走る尻の割れ目をさすった。Mの裸身がビクッと震える。ざらついた手の感触が妙にうれしかった。今度は陽気な声が耳元で響いた。
「さあ、わしが証人になった婚姻届をゆっくり見るがいい」
促されて封筒を開けた。中には郵送した婚姻届が一枚入っているきりだ。急いで郵送したMも用紙以外は入れなかったが、返送してきたピアニストの手紙が同封されていないのは拍子抜けだった。足元から不安が込み上げてくる。紙片を開くのが怖い。おずおずした指先で、見つめるお菊さんの目を意識して婚姻届を開いた。真っ先にピアニストの署名と押印を確認して大きく息を吐いた。これで手続きができると、全身で安堵してから視線を進めた。空けたままにして郵送した「婚姻後の夫婦の氏・新しい本籍」には妻の氏が選ばれ、山地の住所が本籍地にしてあった。

「ややっ、婿殿になるな」
横に回って婚姻届をのぞき込んでいたお菊さんが感動の声を上げた。証人になった歯科医の署名を、ピアニストはどんな気持ちで見ただろうかとMは思いをはせる。父の氏を捨てMの氏を選んだ気持ちを考えると、うれしさと悲しさが目まぐるしく交錯していった。他はみなMが書いたとおりだった。ただ一個所「夫の職業」の医師が二本の赤線で消され、几帳面な文字で演奏者と訂正してあった。Mの目に始めて涙が溢れた。

「お菊さんありがとう。お陰で婚姻届ができたわ。これから市役所に行って届け出てきます」
大きな声で言って白いシルクシャツを素肌に着た。ピアニストと面会したときと同様、黒のロングスカートと煉瓦色のジャケットを選ぶ。
「まったくMははしこいの。思い定めたら一直線だ。そんなに急ぐとすぐ転ぶぞ。ところでM。おめでたついでに、わしに三万円貸さぬか」
顔一杯の笑顔を浮かべたお菊さんが堂々と言い切った。足元を見透かしたような借金の申し入れだ。給料日に奪われるようにして五万円を貸したMの手元に三万円が残ったことをちゃんと覚えているのだ。
「私だって、無一文になるわけにはいかないわ」
「それでは一万でいい。孫の留学が早まりそうなんだ。息子が百万円も無心してきた。よっぽどのことだぞ。何とかしなければ親子の縁も絶たれそうだ。M、恩に着るぞ」
ちゃっかり手を差し出しているお菊さんに、仕方なく一万円を渡した。もうMの手元には一万円札と数千円の小銭が残っているだけだった。
「車に気をつけて役所に行けよ」
機嫌よく、子供に言うような注意を口にするお菊さんと連れだって廊下に出た。一刻も早く届け出がしたかった。有り余る苦労が一枚の紙片に込められているのだ。Mにとっては初めての所帯苦労といえる経験だった。


人気のない市役所の宿直窓口に婚姻届を出した。ちょうどピアニストくらいの年齢の職員がファイルから出した例文と届けを慎重に照合する。
「おめでとうございます。今日の日付で婚姻届を受理します。明日は祝日なので明後日の三十日に市民課の職員が処理します。でも、婚姻の日付は変わりません」
Mとピアニストの結婚記念日は四月二十八日になった。ついでに婚姻の証となる新戸籍の謄本を二通予約した。三十日のこの時刻に宿直窓口に戸籍を取りに来ることを約して晴れがましい顔で市役所を後にした。挙式も披露宴も、祝福もない結婚でも気にならなかった。宿直職員のおめでとうの声だけが心に染みた。いつまで続くか知れないが新しい家族ができたのだ。Mはできるだけ長い家族の存続を瞑目して願った。


Mの足は行きつけになったトラッドショップに向かった。まばゆい店内に入ると顔なじみになった店員が愛想笑いで迎えた。
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか」
来る度にまとまった買い物をするMは、店員には上得意に見えるらしかった。
「先日見せてもらった指輪を見せてください」
「ええ、プラチナのペアリングですね。やはり大きなサイズの品をお取り寄せしましょうか」
ショーケースの鍵を取りにレジに向かう店員が勝手に気を回して振り向く。Mは答えずにショーケースから出された赤い宝石箱を手に取った。大きな方の指輪を摘んで左手の薬指にはめた。じーんと結婚の感触が指から全身に伝わってきた。結婚の記念が指に重い。喉から手が出るほど指輪が欲しかった。ぶら下がった小さな値札をまた読む。十万円を示す小さな洋数字が六桁になって並んでいる。だが、Mは一万円しか持っていない。どうしても指輪が欲しいと、また思った。これほど物に執着したのは初めてのことだ。大屋に貸した十万円が目の前をよぎる。すぐ返してもらおうと思い定めて指輪を抜いた。

「またどうぞ」
店員の明るい声が背中に響いた。十万円の指輪が売れそうな予感に、うれしさが溢れた声だった。Mは大屋の店に急いだ。二時間前に別れたばかりの暗い顔が脳裏を掠める。金のことしか考えていない血走った目をしていた。この一週間、大屋は昼食を食べない。節約が食費にまで及んでいるのだ。でも、金が必要なのはMも同じだった。息子の学費の捻出に苦しむ大屋と結婚記念の指輪の費用がいるMと、金の悩みに差別はない。何よりも大屋に貸した金はMが労働した金なのだ。しかし、店のシャッターは下りたままだった。潜り戸に小さな書き置きが貼ってある。

「都会に出張します。三十日の朝、お出でください」

書き置きの文字は無惨なほど力がなかった。大屋の描くスケッチに笑われそうな文字だ。弱々しく夜風に揺れている。Mは仕方なく富士見荘に戻った。大屋の戻る三十日が待ち遠しかった。
指輪のことが頭から離れず、Mは二十九日の祝日の午前と午後の二回、トラッドショップに指輪を見に出掛けた。二回目に行ったときは店主が奥から出てきて応対した。店主は現品で構わないなら二割引きで八万円でよいと申し出た。Mにとっては渡りに船の話だったが、手元には一万円しかない。もう一度よく考えて来ると答えて帰ってきた。指輪どころではなく刑務所までの旅費にも事欠きそうだった。どうしても五月の連休中に一回は妻としてピアニストに面会したかった。いらだちが募る。婚姻の証となる新戸籍が手元にないことがもどかしくてならない。戸籍ができなければ面会が許される道理がなかった。とりあえず新しい戸籍だけは、受け取りしだい速達で郵送することに決めた。だが、いくら筆無精のMでも、夫になったピアニストに戸籍謄本だけを送るわけにはいかない。散々思案したあげくに短い手紙を書いた。


前略
私の夫になったピアニストに、正直言って、何を書いていいか迷っています。書きたいことが多すぎて、何を書いたらよいか思い悩む気持ちのすべてを、とりあえずお送りします。
四月二十八日に届け出た、二人の婚姻届は、同じ日付で受理されます。明日の三十日には、新しい戸籍を速達で同封します。でも、今は、私自身も戸籍を見ていません。特に結婚の実感はないのですが、これであなたに、いつでも面会に行けると思うと、いらだつ心が安らぎます。
すぐにでも飛んでいきたい。新しい戸籍も会って手渡したい。でも、私も意外に不自由な暮らしをしています。以前のMでいられないことが、きっと妻の証だろうと思って、高ぶる気持ちを慰めて仕事に励んでいます。
五月の連休中には、一度はお訪ねしたいと思っています。
ご自愛ください。M


三十日の朝、朝食の席に下りていくと、お菊さんの姿がなかった。四人の婆さんがそろわないのは初めてのことだった。
「お菊さんは借金の申し込みに飛び回っているぞ。できの悪い息子と孫を持つと、あの歳になってまで所帯苦労だ。足手まといの係累ならいない方がいい。わしらはさばさばしたもんだよ」
Mが事情を尋ねる前に、お米さんがとくとくとして留守の理由を説明した。四人の婆さんの中で子供がいるのはお菊さんだけだ。言葉の端に羨ましさが含まれているようで聞くのがつらい。急いで朝食を食べて大屋の店に向かった。だが、シャッターは下りたままで、相変わらず貧相な張り紙が貼ってある。借金を返してもらうどころか、工事現場までの交通を心配しなければならない予感がした。今日の現場の近くには福祉バスの路線はない。イライラしながら古い家並みの立て込んだ市道の先に目を凝らした。高架のガードをくぐって現れた大屋の姿を見たときは、さすがにほっとした気持ちになった。ガードマンの制服のままいつものバイクに乗っている。疲れ切った様子でMのすぐ前に停車した。黒ずんだ顔を目深に被ったヘルメットで隠していたが、左の目の下に黒い痣が見えた。誰かに殴られたに違いなかった。

「大屋さん、その格好で都会に行ったの。まさかバイクで行ったんじゃないでしょうね」
Mの問いに答えるのもつらそうに、大屋はうんざりした素振りで両肩をすくめた。
「この格好で都会に行ったのさ。もう電車賃もない。息子の下宿で雑魚寝だよ。情けないったらありゃしない。M、後十万円貸してくれって言ったって無理だよね」
「当然でしょう。今朝だって十万円を返して欲しくて待っていたんだから」
大屋の図々しい申し出に腹を立て、Mの声が尖った。
「分かっているんだが散々だよ。もう親子で心中するしかない。連休明けまでに四十万つくらないと息子は退学になる」
「だって、その四十万のために私は十万円貸したのよ」
訳の分からない大屋の答えがMの怒りに油を注いだ。
「甘かったんだ」
大屋は嘆息してうなだれてしまう。
「都会で何があったの。何が甘かったのよ」
「学費を全額払いたくて、息子の学費を押さえた金融業者の所に行ったんだ。やっとつくった四十万円を見せ金にして、息子の学費を返してくれるように交渉したんだ。鬼のような奴らだった。利息が高くなってもいいという俺の申し出を鼻で笑い。今までの利息だと言って全部取り上げたんだ。見てくれ、暴力金融だよ」
目深に被っていたヘルメットを上げて、大屋は殴られた後の痣を見せた。黒く内出血した肌にうっすらと血が滲んでいる。Mは大きく溜息を付いた。大屋はなけなしの金を四十万円も捨ててきたのだ。最低の男だった。後は息子を中退させて稼がせるしかない。Mの十万円は今日返るどころか返済も怪しそうだ。このままでは指輪どころか刑務所までの電車賃も出ない。最悪の朝だった。

惨憺たる気持ちでMと大屋は一日の仕事を終えた。満足に食事をとらない大屋の身体は仕事中にも危なげに震えた。その分Mに負担がかかる。全身が疲労に浸かってしまったような気がした。お互いに無言のままバイクに乗って帰路に着いた。途中で市役所に寄ってくれるよう大声で頼む。大屋の返事はない。返事のない様子から交通費を請求される予感がした。考えてみれば、毎日バイクに乗せてもらっているのだ。だが、最後のプライドが大屋に交通費のことを言わせないようだった。Mとのコンビを解消されれば、今の大屋ではきっと会社をやめさせられるに違いなかった。バイクは市役所の構内に滑り込んだ。大屋を待たせて宿直窓口に向かった。用意してあった新しい戸籍謄本を二通、七百円と引き替えに受け取る。そのまま一通を準備した封筒に入れ、大屋に郵便局に向かってもらった。受付窓口で速達の手続きを終えると、やっと肩の荷が下りた気がした。借金に回るという大屋に礼を言って織姫通りでバイクを降りた。トラッドショップに寄ってみたい誘惑に駆られたが、まず電車賃の捻出が先だと思って真っ直ぐ帰る。あいにく富士見荘の玄関先でお菊さんと鉢合わせしてしまった。お菊さんの焦燥も思いの外深そうだ。

「M、千円貸してくれろ」
暗がりで目が合うなり、些細な借金を申し込まれた。
「千円でいいんだ。知人に借金を申し込むのに菓子折がいる。貸してくれろ」
財布からまた千円が消えた。お菊さんの方が数倍も上手だった。身体がぐったりして風呂に入る気力もなくして部屋に上がった。だが、親切な桜さんが風呂の時間を告げに部屋を訪ねてくれた。婆さんたちは一番風呂に入るのがどうしても嫌らしい。桜さんは風呂を勧めた後もおずおずと言葉を続ける。
「Mは現金で持っているからお菊さんに借りられるのよ。お金は全部郵便局に預けなさい。手元に現金がなければ、たやすく貸すこともできないでしょう。どうしても貸したいときは郵便局まで同行して貸すの。必ず局員の見ている前でね。そうすれば局員が証人になると借りた人も思う。貸したお金が帰ってくる確率も上がるわ」
Mに返す言葉はなかった。うなだれたまま何回も首を縦に振った。肉食獣の集まる草原に放り出された子ウサギのような惨めな気分になった。暮らしの奥は本当に深いと思って大きく溜息を付いた。


暗い気持ちで迎えた連休初日の五月三日の午後、Mに宛てて速達が届いた。茶色の封筒の裏には氏の変わったピアニストの署名があった。Mの心が高ぶる。部屋の中央に座って封を開いた。


前略
M、手紙と新しい戸籍謄本を送ってくれて、ありがとう。
Mと僕の、二人だけの戸籍は新鮮な感動を与えてくれた。気持ちの高ぶりが今も消えない。やっと思いを遂げられたうれしさで全身が震えている。
今すぐにでもMに会いたい。連休中に僕を訪ねるという手紙の言葉に胸がときめく。だが、僕のために、連休中の面会は取りやめて欲しい。
恥ずかしい話だが、喜びのあまり、まだ冷静になれないでいるのだ。
またしても取り乱した姿を見せてしまいそうで怖い。連休明けの最初の日曜日に僕はMを待っている。ゆっくり仕事の疲れを癒して欲しい。
三日前、読書班の囚人が僕の独房にも本を届けてくれた。
荒川洋治詩集「水駅」に僕は感動した。僕がピアノで表現したかった音のすべてが彼の詩の中にあると思った。つい、慣れぬ手つきで、勝手に荒川洋治の詩を借りて、Mのために文字を綴った。ぜひ、読んで欲しい。

「音の駅」

Mはしきりに曲の名を訊いた。柔らかな肌を重ねて私たちは眠る。

音は流れる、静寂を敷き詰めた枯れ野をひとときの風となって。これっきりの耳の数で、風の調べを聞き分けるのはつらい。

ときにピアノの音色を追い、声楽の沈黙を撃つ、流れきたる音の彼方に。だが、調べに拒絶された音のかけらは、静けさの果てで飛び交うこともなく、聾者の耳に囁きかけることもないと。

Mには告げて。過誤の世界を、過ぎ去った夢を。無償の音色に揺れた山地はすでに無く、沈黙の素肌の下にあるのは白々とはぜる炎の音だと。

妄執、この激しい音に惹かれて、道はふたつに別れた。沈黙と喧噪、両極に引き裂かれた地平を吹き抜け、歌い続け、私たちはどこまでも進軍する。懐かしい陰部を求めて、十五年間の官能を貫く。

五月五日、私はこの静寂の地平を旅発つ。その朝も私は、きっと演奏者ではない。肉と肉を繋ぎ合わす魔法も知らず、沈黙したピアノの音色だけを求め続けたという。その音色は、死に絶えた者を悼む挽歌ではなく、生き延びる者がすべてと言って笑い、笑い疲れて眠る、幼子のための子守歌でもない。負け続けた静寂の果てに突き刺す、歓喜のシンフォニーでもなかった。永遠の極みで純質な骨となって鳴り響くという、ただひたすらに寄り添い、慕い合う者への、かなわぬまでの告別であったと。

官能の極みを求める、妻には告げて。


Mはピアニストからの手紙を何回も読み返した。短い手紙だったが難しい内容だった。最後の詩などはまったく理解できない。ただ、連休中は仕事で疲れた身体を休めるようにという優しい配慮だけは痛いほど心に染みた。無理をして電車賃を捻出しなくても済むこともうれしかった。たとえ離れていてもピアニストと気持ちが通いあったと独りで決めて、小さな声で啜り泣いた。
夜遅くなってから、Mは素っ裸のまま井戸端に下りていった。連休中は婆さんたちは風呂をたてない。火照った身体を冷水で拭ってからでないと眠れない気がした。春の夜風を受けて冷水に浸したタオルで裸身を拭った。気持ちがすっきりして爽快になる。人気のない夜とはいっても、人妻が素っ裸で外にいるのは結構スリリングで粋なもんだと勝手に思い、にんまりと笑ってしまった。いつになく浮き立った気分で、濡れ手拭いを肩に掛けて玄関に上がった。大階段に足をかけると凄い勢いで金貸しの先生の部屋のドアが開いた。

「しつこい、二人とも早く帰れ。何回来ようが大屋さんとお菊さんに貸す金はないよ」
先生の怒声が階段の下まで落ちてきた。
「そこを何とか頼みますよ。出世払いと言うじゃないですか」
大屋の縋り付く声が弱々しく響いた。
「だめだ、何と言ってもだめだ。返済できない金を貸す金貸しはいないよ。僕は社会事業をしてるんじゃないんだ。息子の学費や孫の留学に貸した金が返る道理がない。ねえ、大屋さんもお菊さんもよく聞きなさい。話は簡単だよ。金がないなら大学を辞めて働けばいいんだ。高校が気に入らないのなら丁稚奉公でもすればいい。大学も留学も金の余ったお人のいく所だ。分を知らない人に金は貸せない。出世払いとはよく言ってくれたものだ。出世払いは親の信用じゃないよ。子供の信用に貸すんだ。見ず知らずの子供に金は貸せない。さあ、さっさと帰っておくれ」
先生の説教が終わると、大きな音を立ててドアが閉められた。しばらくたたずんでいたらしい大屋さんとお菊さんが悄然として大階段を下りてきた。階段の下で、隅に寄って道を空けたMには気付かない様子だ。無言のまま下を向いて、二人並んで外に出ていく。お陰でMは素っ裸で挨拶を交わさずに済んだ。大屋さんとお菊さんの苦悩はまだまだ続くようだった。


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