3.爆破

山地へ向かう街道を挟んで天満宮と向かい合う位置に工学部のキャンパスが広がっている。キャンパスのすぐ背後には山根川が流れている。細長い敷地だった。学科の新設や研究施設の充実のために建て増しを繰り返し、今や十数棟の校舎が無秩序にひしめいている。山地寄りの北隅に建つ五階建ての建物が都市工学科の研究棟だった。築三十年のコンクリートの外壁には枯れた蔦が一面にへばりついている。研究棟の左端の部分に地下室があった。かつて都市工学科のコンピューター室として使われていた二十畳ほどの部屋は、パソコンの普及に伴って大型コンピューターを撤去して資材置き場になっていた。今や訪れる人もいない。その地下室をシュータがサークル活動の名目で占有してしまってから二年になる。国立大学の鷹揚さで、学校側も使い道のない地下室の占有を黙認していた。学生の質の高さと高度な研究を誇る学風が管理の強化を嫌悪していたのだ。

「計画はパーフェクトだよ。不安はない。なぜ弥生が心配するのか、俺には分からない」
折り畳み式のパイプ椅子をきしらせて修太が興奮した声で言った。天井の低い地下室には暖房もなく、コートを着た六人の男女が輪になって椅子に座っている。修太に名指しされた弥生の表情が硬くなった。大柄の身体の背筋を正し、切れ長の涼しい目で修太を見つめた。透き通った声が地下室に響く。

「私は計画の不備を心配しているわけではないの。広報担当として、現場に爆発の警告をする必要があると言っただけ。今の段階で死傷者を出すわけにはいかないでしょう」
「いいや、警告は要らない。俺も修太に賛成だ。爆発は人のいないエレベーター通路を瞬間的に吹き抜けるだけだ。へたに警告を出して人を招き寄せたりしたら、それこそ取り返しがつかない。俺たちが開発した爆弾の精密度をもっと信頼してもらいたい」
修太の横に座った痩せた男が、尖った声で弥生を遮った。
「卯月の言うとおりだ。現場に警告は出さない。弥生は爆破後にインターネットで大衆に向けてアピールするだけでいい。いいね」
修太の声に弥生が渋々うなずいた。だが次の瞬間、細い眉を不満そうに眉間に寄せて、すかさず口を開く。
「では、正確な広報をするための資料を要求するわ。どうして急に軍事担当の卯月の計画が浮上してしまったのかしら。私には爆弾が完成してしまったからとしか認識できない。いつから最高会議は追認するだけの機能しかなくなってしまったのかしら。私は不満よ。せっかく総務、財務、広報、軍事、司法の担当者が揃っているのだから、主席の修太は全員から意見を聞くべきだと思う」
静かな声で言った弥生が口元を引き締めて修太の答えを待つ。心持ち上げたあごが修太を挑発した。

「弥生、今さら話をスタートラインに引き戻すのは許さない。そんな権限は最高会議といえども、俺たちにはない。上が決めたことを実行するのがシュータの仕事だ」
「それでも、どんな理由があるかを聞く必要はあるわ。正確な資料を知らなければ、とても広報なんてできない。シュータの主張を大衆に知って欲しいから地下に潜ってまで活動を続けているんでしょう」
弥生の言葉を聞いた修太の口元に苦笑が浮かんだ。大きく見開いていた目を閉じてしまう。総務担当の睦月が代わって口を開いた。ちょうど修太を女性にして一回り小柄にした感じの、人形のように可愛らしい顔に冷たい表情が浮かぶ。

「弥生が何を言いたいのか私には分からない。シュータはオシショウの教えを実行する組織よ。信仰に理由など要らない。私たちの信じる神ながらの道は社会変革に通じている。やがて滅びてしまう社会を滅びるのが惜しいまでに変革しなければならない。そうしないと滅びと等価になるエデンの境地が得られないからよ。まず私たちの住む地域社会の変革から一歩を踏み出すのよ。そのためにシュータは資産税の撤廃と義務教育の廃止を市に迫った。六か月も前のことだわ。でも今持って回答がない。回答がないどころかシュータの組織を洗い出そうと警察が血眼になっている。世間に顔の知られている弥生はよく分かっているでしょう。今日だって尾行を捲くのが大変だったんじゃないの。警告はもう何回もインターネットを通じて弥生たちが出したわ。後はシュータの実力で要求を呑ませるだけ。組織された暴力だけが敵を屈服させる。決まり切ったことよ。その力と意志がシュータにはある」

修太の隣で一気に話し終わった睦月の頬が赤く染まった。上気した顔で黒いマウンテンパーカーのファスナーを下ろす。パーカーの下から黒いスエットシャツが見えた。鍛え上げた肉体にも関わらず身体の線がセクシーだ。弥生は男雛と女雛のように並んだ二人を等分に見て再び口を開く。

「今さら睦月に信仰を説かれるとは思わなかったわ。今度の計画が信仰にかなっているかどうか検証したかっただけよ。修太の意見が聞きたい」
「弥生、危険な考えよ。信仰に基づいて計画は立てられているのよ。検証しようというのは破戒だわ。査問の対象になる言葉よ」
弥生の横で司法担当の極月が正面を見たまま冷たい声で言った。
「極月の言うとおりだ。もう時間がない。爆破が済むまでは二度と集まれないから、それぞれの部門で必要な資金を今日配ります。修太は今後のスケジュールを説明してしまってください」

弥生の意見に終止符を打つように財務担当の如月が低い声で言った。いつも修太のご機嫌を取るのがうまい男だ。大きくうなずいた修太が立ち上がり、五人を見回してから口を開く。
「広報部門に動揺があるようで不安もあるが、やるしかない。実行は二日後の日曜日だ。今夜のうちに卯月と兵器担当の霜月が山地湖に潜って武器を回収する。実行部隊はすべて卯月が取り仕切る。後の者は細部を知らなくてよい。爆発を合図に弥生が実行宣言をインターネットで発信する。その後は顔の知られている俺と睦月、弥生、如月は地下に潜伏する。他の幹部は適宜合流、離散を繰り返して次の実行計画に備えてくれ」

修太の言葉が終わると全員が立ち上がった。目立たないように二人ずつドアを開けて外に出て行く。残った弥生の横に修太が立った。「オシショウとピアニストが計画を支持したんだ。それでいいじゃないか。計画自体は俺たちのものだ。幹部それぞれに得意な分野がある。今度の計画立案に参加できなかったといってひがむのはよせ」
修太のあいまいな言い方が弥生の神経を逆なでする。白い頬がさっと赤くなった。

「私は科学的な見方を失いたくないの。たとえ信仰の道にあっても検証を続けることは大切だと思う」
「信仰の前に科学が立ちはだかる場合もある。科学が真理ではないことは、とうに分かっているはずだろう。後は自分の信念が問われるだけだ。滅びの時に備えて精進を続けてきたことが惜しくはないのか」

修太の声が弥生の耳の底まで響いた。科学の衣装をまとって君臨した思想が、もろくも崩れ去っていった事実が脳裏を横切る。北の海峡を越えた土地に住む弥生の父は今もストレスを逃れて酔いしれたあげく、人類の平等の夢を語るのだ。親子二代で負け続けるのは情けなさ過ぎた。迷いを振り切るように弥生は明るい声を装う。

「実行を前にして、小心になってしまって悪かったわ。もう大丈夫」
「分かればいいよ。明日、シュータを代表してドーム館の葬式に行って欲しい。俺個人の問題なんだがピアニストも参列する。オシショウも来るんだ。やはり、シュータの広報担当に行ってもらいたい」
修太は弥生の手にメモを渡し、返事も聞かずに睦月と一緒にドアの外に出ていった。


朝から山地に雪が舞った。静かに舞い落ちる雪は凍えた地面に積もっていく。地表が雪に覆われ深々と底冷えのする午後。静まり返ったドーム館で玄関のチャイムが鳴った。今日初めて鳴らされるチャイムを聞いて、光男の棺の前に飾った簡素な祭壇の横に控えていたMがドアに向かった。告別式は午後一時からの予定だった。広い玄関ホールには死者の他はMしかいない。ドアを開けると車椅子に乗った老婆がいた。今にも椅子の中で消え入ってしまいそうなほど小さく萎びきった身体だ。小さく開いた両目も虚ろで、何の感情もうかがわせはしない。

「光男のお祖母さんを連れてきた。本来なら喪主だからね」
車椅子のハンドルを握った天田が胸を張ってMに告げた。老婆の姿に鉱山の町で知り合った町医者の奥さんの姿が重なる。豊かな白髪を真夏の日射しに銀色に輝かせて、無心にヴィオラを操る端正な姿だ。あれからもう十年が過ぎた。懐かしさが胸に込み上げてくる。もう一度じっと見つめると、町医者の奥さんの姿はすでに消え失せていた。寝たきりで痴呆症の老婆が車椅子にうずくまっているだけだ。Mは深い悲しみをこらえて道を空け、無言のまま二人を祭壇の前に案内した。また玄関のチャイムが鳴り、黒い服に雪を乗せたピアニストとオシショウが入ってきた。そろいの黒服は、いつものウール地を柔道着風に仕立てたものだ。オシショウは赤、ピアニストは緑の帯を締めている。この寒さにも関わらず、二人とも柔道着の下は素肌のままだ。二階でドアの開く音がして、緩やかな階段に黒のシングルスーツをゆったり身に着けたチハルが姿を見せた。上着の前を開き片手をパンツのポケットに入れている。マニッシュなスーツが少年のような体型によく似合った。チハルの後から祐子が階段を下りてくる。黒いタートルネックのセーターにブラックジーンズといったいつもの服装だった。セーターの上から首に巻いた金のネックチェーンがMの目を打った。うつむいた表情が硬い。祐子とチハルが玄関ホールに下り立つ前に、またチャイムが鳴った。ドアを開けると黒いチャイナドレスを着た女性が深々と頭を下げた。Mも頭を下げる。
「修太に命じられて来ました。シュータの広報担当の弥生です」

ちょうど同じ背格好の弥生が頭を上げると同時にMも頭を上げた。
「葬儀社のMです。どうぞお入りください」
丁寧に言って道を空けると弥生の切れ長な目元に笑みが浮かんだ。思わずMも微笑み返す。妹を見付けたような不思議な親しみがわいた。無遠慮に弥生の全身を見直してしまった。美しいと思った。均整のとれた身体の線が誇らしく存在を主張している。懐かしさと嫉妬が喉元まで込み上げ、Mは戸惑う。弥生が祭壇に向かって歩みだし、Mの視線が後ろ姿を追った。鍛錬した肉体にも関わらず美しく揺れる尻が目にまぶしい。反射的につむってしまった両瞼に、今見たばかりのシルエットが甦った。Mの口元が苦笑する。二十年前の自分自身だった。急に全身が熱くなった。頬が赤らむのが分かる。現在の自分はどこへ行ってしまったのだろうと思い、情けなくなる。

「M、これでみんな揃った。始めてくれ」
ドアの前で立ちつくすMにピアニストが声を掛けた。光男の棺の前に関係者が並んでいる。右手に車椅子の祖母と天田、チハルと祐子の順で並び、左手にオシショウ、ピアニスト、弥生の順で並んでいる。Mは足早に祭壇に向かい、弥生の後ろに立った。簡素な祭壇の上には大きな青磁の壺が置いてあるだけだ。横に青々とした榊の枝が積み重ねてある。祭主を司るというオシショウに命じられたとおり用意した祭器はそれだけだった。本当に簡素なものだ。七人しかいない参会者の寂しさにもひけは取らない。

「オシショウを祭主に、光男の告別式を開始します」
司会のMが厳かな声で開式を告げた。オシショウが一歩前に進み、祭壇の前に立って逞しい両腕を組んだ。深く一礼してから腹の底に響く声で語り始める。全員が頭を垂れた。

「神ながらの道に縁の無かった者に教えを授ける。哀れな死者よ、迷いなく聞け。者は水瀬川の流れるままに上り下り、まさに海へと注ぐ都会にまで彷徨い出て亡骸となった。者よ、決して惜しまれる肉体にも精神にも無縁であった者よ、心して滅びの時を待て。生あるものも神々でさえもいずれは滅びる。しかし、できうるならば、冥界にあっても悔い改めて心身を鍛えよ。神ながらの道を歩む者たちが、やがてこの世を滅びと釣り合うまでの惜しさで満たす。滅びの時は近い。座してエデンの境地を待つ事なかれ。乞い願わくば、者の怒れる魂魄が冥界に満ち、この地上まで溢れ出ることを求める」

語り終わったオシショウは祭壇に供えられた榊の枝を一本取り、後ろに三歩下がった。右手に持った榊を無造作に投げる。音もなく飛んだ榊は祭壇の上に置いた青磁の壺の中に吸い込まれた。参会者が一列になって祭壇の前に並び直した。オシショウが差し出す榊を持って全員が順番に壺に向かって投げた。六本の濃い緑色の榊が弧を描いて宙を飛んだが、青磁の壺に入ったものはなかった。オシショウが投げ入れた榊だけが大きな壺から貧相な葉を広げている。
「やはり命濃い榊は死者に届かなかった。神々のみならず、この場に集った者にまで哀れな死者は拒絶された。滅びの時を冥界で待つがよい」
祭壇に軽く一礼したオシショウが元の位置に戻った。

「オシショウ、それから皆さん、ご苦労様でした。これで終わります」
ピアニストの一言でいっさいが終わった。悲しいほどあっけない葬式だったとMは思う。光男は死んだ後さえも説教をされた。泣きべそをかいている顔が見えるようだ。

「M、明日の火葬には祐子しかいけない。遺灰は大橋の上から水瀬川に撒いてほしい」
ピアニストが冷たい声で命じた。二日経ってもまだMには違和感が拭いきれない。自分でも険しい表情になるのが分かる。厳しい声でピアニストに問い掛けた。
「明日は日曜日よ。祐子一人の骨上げでは余りにも光男がかわいそう。それに、二人だけで川に骨を撒けって言うの」
「今さらMに説教されるゆえんはない。僕たちは皆、生きている人のために忙しい。死者との付き合いがMの仕事だろう」
ピアニストが言い捨ててオシショウと並んでドアに向かう。車椅子を押した天田が二人に続いた。
「祐子、私も天田さんと一緒に街まで行くよ」
黒いスーツを着たまま、チハルまでが去って行った。Mと祐子、黒いチャイナドレスを着た弥生が玄関ホールに取り残された。祐子は泣き出しそうな顔をしている。気まずい雰囲気が流れた。

「弥生さん、なぜ修太は来ないの」
美しい身体の線を誇らしく見せてたたずむ弥生にMが声を掛けた。我ながら未練たらしい問いだと思う。
「弥生と呼んでください。私もMと呼ばせてもらう。修太がMによろしくと言っていました」
「嘘でしょう。修太がそんなことを言うはずがないわ」
「そう嘘よ。でも、修太はMのことを時々口にする。Mに強い劣等感を持っているように見えるわ。ピアニストも同じ。だから私は、ずっとMに会ってみたいと思っていたの」
弥生が胸を張ってMを見つめた。豊かな胸だが決して豊満に見えない。改めて肉体への嫉妬を感じる。拭いがたい感情の嵐がMを混乱させる。これまで感じたこともない思いがこの二日のうちにMを翻弄するのだ。

「今のシュータは目が回るほど忙しい。それしか言えないけれど、来ない修太を信じて欲しいの」
弥生の切れ長な目が一瞬光って言葉を繋いだ。
「広報担当だという弥生がそれしか言えないのでは、信じるとも信じないとも言えないわ。何か不吉な予感がする」
Mの言葉にまた弥生の目が光った。
「Mは予言者の真似をするの」
「いいえ。私はオシショウではないわ」

弥生の口元に笑いが浮かんだ。だが、急に思い付いたように顔を引き締め、声の調子を下げて問い掛ける。
「明日は火葬場に行くのでしょう。正午はどこにいるの」
今度はMが怪訝な表情を浮かべた。
「正午にはもう街に戻っているわ。どうかしたの」
答えを聞いた弥生が黙り込む。何事か思案するように目をつむってからMの目を見つめた。真剣な表情だった。
「いいえ、何でもないの。でも官庁街に行くことはないわね」
「ないわ」
弥生の顔に明るさが戻った。
「私も帰らせてもらう。M、またどこかで会いたいわね」
答えを待たずに弥生がドアに向かった。
「ありがとうございました」
祐子が弥生に頭を下げる。Mも黙って頭を下げた。

「ねっM、弥生はシュータの人に見えないでしょう。Mと似たところがあるわ。髪を長くすれば若いころのMそっくり」
ドアが閉まると同時に弾んだ声で祐子が話し掛けた。Mの混乱した感情に祐子の言葉が油を注ぐ。早く仕事を終わらせて都会に帰りたかった。だが、明日の火葬がまだ残っていた。


寝台車のフロントガラス越しに織姫通りに合流する信号が見通せる。先行車両は一台もない。日曜日にしても道は空きすぎていた。Mは巨大な寝台車をゆっくり運転する。骨壺を抱いた助手席の祐子が小さく見える。それにしても寂しい骨上げだったとMは思う。祐子と二人で黙々と箸を運び、砕けた骨を壺に詰めた。白茶けた骨の上に二人の流す涙が落ち、消し炭のようになった白い骨の中に染み通っていった。そのまま遺灰を水瀬川に流すことはとてもできず、祐子が骨を抱いて帰路に就いた。とにかく仕事は終わったのだ。さっぱりした気分で都会に帰ろうと思うが疲労で全身が重い。怪しい出来事が続きすぎてしまっていた。

もうじき交差点というところで信号が黄色に変わり、赤になってしまった。停止線の手前で止まった寝台車を待っていたように、紺色の制服を着た男が飛び出して来る。黄色と黒の縞を塗り分けた通行禁止の柵を寝台車の前に広げた。あっけにとられたMが運転席の窓を開けると、左腕に交通安全の腕章を巻いた警官が近寄って来た。
「織姫通りは通行禁止。三十分間は通れないよ。都会ナンバーだから知らなくて当然だが今日は出初め式。消防隊のパレードがある。この道路は一方通行だからUターンもできない。車をこのままにしてパレードを見物するしかないね」
晴れやかな顔で警官が告げた。開けた窓からはもう、雄壮なマーチが聞こえてくる。

「祐子、仕方がない。パレードを見よう。気分がすっきりするかも知れない」
呼び掛けてからエンジンを切り、ドアを開けた。道路の隅の日陰に昨日の雪がみすぼらしく残っている。思っていたより外は温かい。新春の日射しが目に痛いほどだ。胸のポケットからオレンジ色のレイバンのサングラスを出してかける。祐子と並んで路上に立ち、織姫通りを上ってくるパレードに見入った。誇らしく隊旗を掲げた旗手を先頭に、二十人ほどが二列になった隊列が次々に行進してくる。各町内の住民で組織された消防団のパレードだ。年齢も体型も皆違う。制帽の下に白髪がのぞき、太ったお腹を突き出した団員がいるかと思えば、髪を茶に染めてピアスを光らせた若者もいる。皆真剣な表情で大きく手を振り、足を高く上げて誇らかに行進する。ちょうどMと祐子の立つ交差点の横に検閲台があった。ともすれば足並みが乱れそうになる隊列が、揃って紅潮した顔だけを右に向けて敬礼する。きりっと制服を着こなした見覚えのある市長がおもむろに答礼を返す。アンバランスな厳粛さが涙がこぼれるくらい悲しい。とても颯爽とした気分にはなれそうもなかった。

隊列を十八数え終わった後に消防車の車列が続いた。団員と同様、誇らかにヘッドライトを点灯した真っ赤な車列がエンジンの音を轟かせて進む。消防団のちっぽけな車の後に消防本部の堂々とした梯子車やポンプ車、工作車などの巨体が続いた。立ちこめる排気ガスの臭気にむせ、Mは西の空を見上げた。


ズガッーン


見上げた空を閃光が切り裂き、爆発音が轟いた。二階建ての銀行の屋根の上に広がる真っ青な空に、赤い炎が巨大な噴水のように吹き上がった。閃光が走った空に真っ黒な煙がキノコ雲のように膨れ上がる。雲の根元に赤黒い炎がのぞいている。すべてが瞬間に起こった。しばし平然としていたかに見えた消防車の列に次々と異変が伝染する。梯子車とポンプ車から、猛り立った獣のようにサイレンが鳴り渡った。消防団の車が道路の右端に停車して道を空ける。路面を振動させながら次々に消防車が交差点を左折していく。寄り添って騒乱のパレードを見つめるMと祐子の目の前で、無線機を握り締めた警官が検閲台に駆け寄っていく。

「市長、市役所で爆発事故」
警官の絶叫を聞いた祐子の身体が激しく震えた。青ざめた唇からつぶやきが漏れる。
「シュータだわ」

「えっ」
聞き返したMが祐子の両肩を揺すった。
「どうしたの祐子。爆発と修太が関係あるの」
「分からないわ。でもきっとシュータだと思う」
返ってきた言葉がMの左の耳から右の耳へ通り過ぎる。もう一度空を見上げ、銀行の屋根の上に膨らむ黒煙をにらんだ。祐子の肩から手を放して寝台車に向かう。祐子も慌ててついてくる。車の前に置いてある柵を蹴倒し、運転席に乗り込んだ。

「どうするの、M」
助手席から震え声で聞く祐子に答えずエンジンをかけた。思い切ってアクセルを踏み込み、黒い寝台車を交差点に乗り入れる。静止する警官の笛を無視して産業道路を突き進んだ。
「市役所へ行くわ」
中央公園へ左折する信号でMがつぶやいた。光男の遺骨を抱いた祐子の身体が小刻みに震える。中央公園の梢越しに見える市役所の屋上からしきりに黒い煙が上がっていた。凄いスピードで市役所の構内に寝台車を乗り入れたが、屋上を見上げている警官たちは静止しようともしない。さり気なく構内の隅に車を止めて消防の指揮車らしい赤いワゴンの後ろに回った。四階建ての市役所の本館を見上げると、屋上のエレベーター室から真っ黒な煙が吹き上げている。長い梯子を延ばした消防車がしきりに放水を続けている。巨大なポンプ車からは二本の太いホースが延び、市役所の玄関の中に消えていた。コンクリートの地表には爆発の衝撃で割れて落ちた窓ガラスが無惨に飛び散っている。今なおガラスが落ちて砕ける甲高い音が耳に響く。周囲を包む無数の騒音の中に、後部ドアを開け放した指揮車から響く無機質な無線の音が混ざった。二人はじっと聞き耳を立てる。

「こちら地階、エレベーター前の爆発地点。火災は鎮火しました。二人の負傷者を確保。市役所の警備員で軽傷です。二人とも自力で出られるのでレスキュー隊は要りません。救急車を玄関に回してください。なお、二つの遺体を発見しました。現場を警察と代わります」
「了解。こちら指揮車、負傷者を確保して速やかに待避。再爆発に備えよ」
聞こえてきた無線の声はMと祐子をぼう然とさせた。修太が関係したかも知れない事故で死傷者が出たのだ。祐子の震えが止まらなくなる。Mは昨日ドーム館で、帰り際に弥生が言った言葉を思い出した。弥生は官庁街には行かないわねと言ったのだ。その官庁街で爆発事故が起きた。震えている祐子の肩を右手で抱えてMは寝台車に戻った。フロントガラス越しに見える騒然とした役所の構内が、まるで映画のシーンのように見える。青い出動服に身を固めた警官が次々に正面玄関に消える。報道陣が指揮者とおぼしい警察官や消防士を追い回す。庁舎を遠巻きにした野次馬が危険を楽しみ、無責任な論評を声高に話している。隣に駐車してあった無人のパトカーの無線が突然興奮した声を発した。

「本部から各移動。シュータからの犯行声明をキャッチ。これは事故ではない。爆弾テロだ。繰り返す、これは事故ではない、爆弾テロだ。警戒を密にして不審者を検問せよ」
声にならぬ悲鳴が祐子の口を突いた。急いでMが寝台車を発進させる。ハンドルを握る手がじっとりと汗ばんでいた。

「M、早くドーム館に帰って。シュータはきっとインターネットで犯行声明をしたのよ」
産業道路に入る信号で祐子が興奮した声で言った。Mは寝台車のタイヤを鳴らして右折し、織姫通りへと急いだ。祐子の抱いた骨壺の中で光男の骨が小さい音を立てた。


「間に合ったわ。まだ警察に回線を突き止められていないみたい。アドレスが昔のままだから、どこかのコンピューターの端末を無断で使っているのよ」
今は亡きコスモス事業団の理事長が愛用していたパソコンのディスプレーに、シュータのホームページが浮かび上がった。ホームページの表紙は赤と黒を斜めに塗り分けた、お馴染みのサロンペインの看板と同じデザインだった。カタカナの文字がシュータに変わっているだけだ。チーフが見たらどんな顔をするだろうかとMは思う。しかしチーフでさえ、この意匠がスペインのアナキストたちの旗だったとは知らない。絶対自由が実現する社会を夢見て戦ったロマンチストたちの旗印を宗教団体が使う。皮肉な話だった。ページを送ると大きく赤い×印を付けられた市役所のカラー写真の下に緑色の文字が並んでいる。大きな文字で実行声明と見出しがあった。


実行声明

本日正午、シュータは市役所のエレベーターを爆破した。
天を突く赤い炎は我々の怒りと認識せよ。
これはシュータの要求を無視し、あまつさえ警察権力で圧力をかけた市当局への警告である。
速やかに資産税の撤廃と義務教育の廃止を迫ったシュータの要求に回答せよ。
この次は警告だけでは済まない。
やがて来る滅びを先んじて受け入れる者を募ることになるだろう。
回答の期限は明後日の正午とする。
シュータを支持する覚醒した市民は次の行動に期待して欲しい。



無惨なメッセージがディスプレーを流れていった。爆発で死傷者が出ないことを信じ切った脳天気な声明が空しい。今日からシュータのメンバーは皆犯罪者だった。警察の目を逃れる術はないだろうとMは思う。オシショウ、ピアニスト、修太、そして弥生の顔が脳裏を流れていった。

「行くところまで行ってしまったわ」
ディスプレーをのぞき込んでいた祐子が疲れ切った声で言った。不思議に哀れみも悲しみもない乾燥しきった声だ。Mの肩が大きく落ちた。この街では人たちが皆、Mの前を素通りして行く。もう懲り懲りだと思った。

「さようなら、私は都会に帰る」
疲れ切った声で祐子に言った。
「イヤッ」
大声を出して祐子が泣き崩れる。黙って見下ろすMの前で祐子はさめざめと泣いた。やがて啜り上げながらも、しっかりした声で訴え掛ける。
「M、これまで色々なことがあっても私はまだ涙が涸れない。修太とピアニストは、きっと涙が涸れ果ててしまったのよ。ねえM、あの二人を見捨てないで欲しいの。Mは二日前、ピアニストも修太も一緒に暮らしたことがあると言ったわ。決してMに責任はないけれど、見捨てることだけはして欲しくない。そうでないと私、過去をすべて殺したくなる。Mに見捨てられた思いを抱いて生きていくことはできないわ。お願いM、修太とピアニストに、涙の味をもう一度思い出させて上げて」

またしても子供たちが縋り付いてくるとMは思った。しかし、Mは子供たちの保護者ではない。もう四十歳になる疲れ切った独りの女だ。身体の手入れすら怠ってきた間抜けな女が、肉体と精神を鍛え上げて信仰で武装した者に対抗できるとは思えなかった。

「祐子、私が何でもできると思うのは間違った考えよ。できないことの方が多いの。今度も私は、たまたま仕事で市に来ただけ。都会でひっそり暮らしている女に何ができるというの。よく目を開いて現実を見なさい」
「だって、Mにしか希望がない。私はMが好きだ。きっと修太もピアニストも、死んだ光男も、」

絶句して、再び机にうつ伏して泣き続ける祐子をMは見下ろす。まだ試練は続くようだった。端正な顔に諦めの笑みを浮かべ、Mはそっと泣きじゃくる祐子の背を撫でた。忘れていた官能の予感が下半身をくすぐる。過酷な明日に備えて今夜はまた裸で眠ろうと決心した。


二人はずっとテレビに釘付けになっていた。無惨に破壊された市役所の地階が何度も画面に映し出された。午後十時を回ると軽傷を負った警備員が画面に登場してインタビューに答え始めた。警察の事情聴取がやっと終わったらしくリラックスした表情だ。問われるままに、事件の様子を生々しく再現する。

「正午になるちょっと前、五分前だったかな。ガス会社から役所に電話があったんですよ。女の声でした。私が応対したんですが、市役所の地下でガス漏れの警報が鳴ったから、すぐ修理に来ると言うんです。それまでの五分間、ガス爆発の危険があるから絶対に地階に下りないでくれって警告されたんです。怖かったけど、警備員には事実を確認する義務がありますからね。同僚と二人で地階に行ってみることにしたんです。偉くなんてないですよ、ただの職業倫理です」
インタビュアーに向かって画面の中の警備員が誇らしく胸を張った。

「まず一階のエレベーターに行きました。でもエレベーターは四階に上がっている。階段を使って地下に下りていったんですよ。すると二人の男が踊り場に上がって来るんです。若い男に見えましたよ。同僚が脅しつけるように、誰だと大声で誰何したんです。泡を食って二人とも逃げて行くんです。もちろん私たちは追い掛けました。地階まで追って行って廊下に続く曲がり角まで来ると、一人の男が振り向いて大声で怒鳴りました。危険だ、爆発する、階段に戻れってね。それは真剣な声でした。先ほどのガス会社の警告を思い出し、ガス爆発の恐怖が背筋を掠めました。慌てて階段まで戻って床に伏せたんです。エレベーターの扉が開く音と同時に目の中を閃光が走り、顔が熱くなりました。後は消防士に助けられるまで気絶してましたよ。あの男のお陰で命拾いをしたようなもんです。まさか爆弾が仕掛けられたなんて、あの男たちが犯人だなんて、夢にも思いませんでしたね。今でもガス爆発のような気がします」

警備員は何回も繰り返し同じことを話した。頬の火傷を覆ったガーゼがなければ、ただのおじさんにしか見えない。身に迫った危機を、まだ正確に認識できていないようだった。だが、先ほど見てきた市役所の様子と合わせ、現場の生々しい状況は痛いほど二人に伝わってきた。とにかく爆発で二人が死んだのだ。警備員の話によれば、死者は二人組の男の爆破犯らしい。ピアニストと修太かも知れなかった。どす黒い不安がMと祐子の全身を覆った。疲れ切った身体と心をいたわり合うように一緒に風呂を使い、二人は裸のままベッドに横たわった。事件を知っているのかいないのか、街に行くと言って出たチハルはまだ戻って来ない。

Mはベッドに横たわってドームを見上げていた。眠れずに冴え渡った視界を流れ星が横切っていった。その瞬間、脳裏にオシショウとの出会いの場面が浮かび上がった。まれに見た流星が、奇跡を見たような不思議な気分を甦らせたのだ。正月明けの夜明け前に、なぜオシショウは水道山にいたのかと急に疑問がわいた。オシショウの背後に見えたスパニッシュ・コロニアル様式の瀟洒な建物が妙に気に掛かった。はっとして、隣で眠る祐子を振り返った。安らかな寝息を無視して乱暴に揺り起こす。

「祐子、中等部の先の水道山にある建物は使われているの」
「水道記念館ね。見学できるけれど冬季は閉鎖なの。管理人もいないわ」
寝ぼけ眼の祐子が、それでも正確に答えた。Mは左腕のタイメックスを見た。青く光る文字盤が午前一時を指している。ベッドから転がり落ちるようにして床に降りた。重く感じる裸身が我ながら憎々しい。素早く服を身に着け、祐子にもらったスカーフを首に巻いた。ドアの前まで行くと、ベッドで半身を起こした祐子が問い掛けてきた。

「M、こんな夜更けにどこへ行くの」
「心配しなくていいわ。ちょっと街まで散歩に行くだけ。都会に逃げるわけではないわ」
最後の言葉に安心した様子で横になった祐子を残して階段を下り、玄関を出た。深夜の冷気が全身に染みる。爽快だった。寒さを我慢してMG・Fをオープンにする。この時間なら、水道記念館まで三十分足らずで行けるはずだった。


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