3.陶芸屋

昼走った道を、再びMのロードスターが凄い速度で走り抜ける。
ほんの数時間前、村木に案内されて走ったばかりのカーブを道幅いっぱい使ってクリアーして行く。風のやんだ渓谷にエンジンの音がひときわ高く吼えた。

Mは闇に目を凝らし、村木に教えてもらった道しるべを見逃さないように注意した。
ヘッドライトの光線が一瞬、フロントガラスの隅にアーチ状の鉄橋を照らし出した。大きく切り通しを回り込んだ瞬間、昼来たばかりの広いコンクリート道路に出てしまった。左方の闇の中では、渓谷を挟んで醜悪な精錬所の廃墟がたたずんでいるはずだった。

「しまった、道を間違えた」
ロードスターの狭い車内で思わず声に出してブレーキを踏んだ。
ダッシュボードの時計に目を落とすと、七時十五分前だった。市からここまで、わずか五十分で来たことになる。

Mは目をつむり、大きく息を吸った。
車の屋根が視界を遮り、脇道を見逃してしまったのだ。夜間の走行でも、オープンにすべきだったと悔やむ。

闇に包まれた山肌をぼうっと照らすチェロ奏者の寺と村木の住むアパートの灯を見ながら、Mは今日二度目になる鉱山の町への来訪について思いを馳せた。
午後の寺の一室で村木の入れてくれた茶の味と、手に馴染む鉄色に光った茶器の感触が甦る。口の中に広がる苦い茶の記憶を、陶芸屋の甘酸っぱい記憶が押し包んでいく。
女を頑なに拒絶した態度と言葉。しかし、目の底で燃えていた熱い感情の炎。渾身を込めた作品を焼く陶窯の中の、灼熱の炎を見たとさえ思ったのだ。

あの熱いまなざしに誘われて、Mは再び鉱山の町まで来た。
求められていたと、Mは思う。挑戦は受けねばならない。それがMの生き方だと、闇の中で改めて確信した。

「観光パンフなんかに興味はないわ。やはり人よね」とつぶやいたMは、寺とアパートの灯に片目を瞑った。
「モーツァルトも、ぜひ聴かせてもらうわ」と言って口元をほころばせて、思いきりアクセルを踏み込む。
リヤタイヤが悲鳴を上げ、見事なスピンターンが決まった。
ヒーターも入れない冷たい車内で、身体の奥に住む官能への予感だけが、熱く燃え上がっていた。


切り通しを過ぎてすぐ、右に入る細道があった。
山塊が両側から迫る細道に車を乗り入れると、コンクリートを敷いた広場に出た。バスターミナルのような広場の先に立派な鉄橋が見える。水瀬川を渡る橋に違いなかった。
鉄橋を渡りきると、右手に精錬所を閉ざした巨大な鉄の門が見えた。
構わず先に進むとまた道が狭くなり、舗装の荒れが目立ってくる。山へと登る急勾配の道路がうねうねと続いていく。ようやく登り切ってしばらく下ると、ヘッドライトの光が小さな渓谷を照らし出した。誉川に違いない。
渓谷沿いに五分間ほど走ると、山が後退した狭い平地に校舎と思われる建物や、二、三の住宅が浮かび上がった。いずれの建物にも灯は見えず、闇に溶け込んだままだ。

少し先に、コンクリートの橋が見える。
村木が対岸にあると言った、陶芸屋のアトリエに続く橋に違いなかった。橋の上にロードスターのノーズを回した後、車を止めて先を確かめる。
長さ十メートルの細い橋の先は、すぐ近くまで山が迫った狭い荒れ地だ。僅かに山の端を上った所に、ぼんやりと光る外灯が見える。その光を浴びて、思ったより大きなログハウスが闇の中に浮かんでいた。
Mは静かにロードスターを発進させる。

コンクリートの橋の先は未舗装の私道だった。地面に深く刻み込まれた轍の跡に車輪を取られ、車体の底を土に舐められながら、ゆっくりと進んだ。
古ぼけた外灯の下に四輪駆動のトラックが止まっている。Mは隣にロードスターを止めた。

フロントガラス越しに、ログハウスの壁面に掲げられた巨大な看板が見える。看板にはアトリエの名前はなく、乱暴な文字で「産廃処分場絶対反対」と描かれていた。
Mの口元に笑みが浮かぶ。
確かに産業廃棄物と陶芸は馴染みはしない。あの真剣すぎる表情で、産廃処分場に反対する陶芸屋の顔が目に浮かんだ。
Mはドアを開け、身を切る寒さに包まれた荒れ地に立った。レイバンのサングラスをかけ、外灯にうっすらと照らし出されたログハウスに向けてゆっくりと歩み出した。


本当に慌ただしい一日だったと陶芸屋は思った。今日初めて回すろくろを前に、ふっと大きく息をつく。
朝のうちは、日頃構わなかった家事に追われた。昼になって祐子の失踪を知らされ、恩師と元山鉱まで捜しに出掛けた。恩師の思惑通り、廃墟になった共同浴場の広い湯舟の縁に座り込んでいた祐子を保護して学校に連れて行くと、緑化屋の墜落事故の知らせが待っていた。祐子と恩師と一緒に三人で町まで下り、緑化屋が運び込まれた総合病院へ急いだ。幸い緑化屋の傷は軽く、ほとんど怪我がないといってもよいくらいだった。背骨を折って死んだパイロットとは、はっきり明暗を分けた形だった。

「祐子はどうするんだい」
十二畳の板敷きのアトリエの隅で、テレビに見入っていた息子の修太が不意に声をかけた。
「恩師の家に泊まることになった」
「何だ、チェロの所へ行ったのか。うちに連れてくれば良かったのに」
「そうはいくまい。あの子は心を開いてくれないからな。修太、お前にだって話さないんだろう」
小さくうなずく修太の肩が落ちたように見えた。

「センセイが悪いんだ。祐子と光男を叱るからな」
陶芸屋の脳裏に、眼鏡の縁を指先で持ち上げる癖のある女教師の顔が浮かんだ。廃校になるのを二年後に控えて退職した温厚な地元教師の代わりに、都会から臨時教員として住み込んで一年しか経っていない。たった三人しか子供のいない分校なのに、保護者が学校を訪ねることを嫌がる雰囲気があった。家庭ぐるみの教育が普通であった前任者とは、まったく違う教育方針だった。しかし、後一年と思う気持ちが、陶芸屋を学校から遠ざけたままで済ませていた。

「あのセンセイは厳しいのか」
「いや、俺には優しい」
修太は、話題を打ち切りたいように簡単に答えた。
「他の二人にだけ厳しいのか。でも、祐子ちゃんは病気なんだろう」
「口をきかないだけだから、病気には見えないんだろう。センセイが打っても泣きもしない」
「えっ、手をあげるのか」
陶芸屋が驚きの声を上げたとき、横に置いてある電話が鳴った。
入院した緑化屋からの電話に違いないと思った陶芸屋が、すかさず受話器を取った。

「陶芸屋はいるかね」
ドスのきいた低い声が受話器から流れてきた。
「私だが、あんたは」
「俺は産廃屋の竹前って者だ。緑化屋は随分と命強かったようだな。でも、幸運も長続きはしないぜ。お前もいい勉強になったろうが。つまらない反対運動は今日限りやめることだな」
「墜落事故のことを言ってるんだな。あんた、まさか緑化屋のヘリコプターに、」
「何もしちゃあいないさ。反対反対と、うるさいことを言っているから事故が起きるんだ。お前も緑化屋も、かわいい子供がいるんだから、身体を大切にした方がいいと心配して忠告しているんだ。まあ、俺の親切心ってやつよ」
ゆっくりと、念を押すように話す産廃屋の声の後ろに、時折女の声が混ざる。かん高い喘ぎ声が受話器の中で遠く「コロシテ、コロシテ」と聞こえてくる。
一瞬、陶芸屋の胸に恐怖が込み上げた。しかし、一呼吸おいてから、妙に女の声が怪しく官能的であることが知れた。

「今時のやくざは、女とお楽しみの最中にも脅しの電話をかけてくるのか。随分忙しくなったもんだな」
「ふん、これも親切心の一つさ。命が無くなったら、女を泣かすこともできはしない。よく覚えておくことだな。勉強になっただろうが」
産廃屋の声の彼方で、ひときわ高く「ヒー」と延びた女の歓喜の声が聞こえ、電話は一方的に切られた。

ツー、ツーという発信音だけが流れる受話器を握り締めた陶芸屋の喉元に、苦いものが込み上げてきた。
不思議なことに、脅迫された恐ろしさはない。受話器の中に響いてきた女の喘ぎだけが耳の底に残った。下半身が怪しく疼く。
妻の陽子が去って以来、女の柔らかな肌を抱くことも絶えて無かった。既に五年になる。滑らかさといえばもう、土の感触しか思い出せそうになかった。
身体の芯に熱く固いものが突き刺さっていくのを感じ、昼下がりの恩師の寺で見た、きりっとした女の表情が目を掠めた。

「誰か来たよ。小役人の村木が新しいゲームでも持って来たのかな」
入り口の引き戸を叩く音が聞こえ、テレビの前から立ち上がった修太が戸の前に向かった。
外から引き戸が力強く開けられ、暖められた室内に冷気が走り込んだ。
「あんた誰。変なやつだな」
修太が頓狂な声を上げる。
「今晩は。客に挨拶もできないあなたの方が、よっぽど変なやつだと思わない」
平然と答えた訪問者は、夜なのにオレンジ色のサングラスをかけた長い髪の女だった。アメリカンフットボールの控え選手が着るような、足首まである黒いコートを着て土間に立っている。
修太はあっけにとられ、返す言葉がでない。

「それに変なやつとは何よ。子供でも、言って良いことと、悪いことがある。見掛けで人を判断するのはやめたがいいわ。あんたみたいな、人の痛みが分からない子がイジメをするのよ。もう小学校六年生なんでしょう。もっと良くお父さんにしつけてもらいなさい」
「うるさいキチガイ女。説教しに来たのか」
痛いところを突かれた修太が一歩を踏み出し、Mの足を蹴った。途端に平手打ちが修太の左頬でピシッと鳴った。
頬を張られて床に飛ばされた修太は、ショックでしばらく声も出ない。ぼう然として立ちすくんでいたが、突然大声で泣き出す。赤く手形のついた頬を手で被い、泣きじゃくりながら自分の部屋へ逃げ込んでしまった。

思いもかけぬ事態にあっけにとられていた陶芸屋も、修太の泣き声で我に返った。
サングラスで表情を隠していたが、恩師の寺で会った女に間違いなかった。
「わざわざ、俺の息子をいじめに来たのか」
「いじめたわけではないわ。しつけてやっただけよ。私はわざわざ、あなたに会いに来たの。あの息子は礼儀知らずだわ。しつけが必要よ」
「分かった。でも、自分の子供の顔を張られて、黙っているわけにはいかない」
「じゃあ、私の顔を張ったら」
Mは黒いブーツを脱いで、ろくろの前に座ったままの陶芸屋の前に進んだ。

「確かMと言ったね。あんたも十分すぎるほど礼儀知らずだ」
「名前を覚えていてくれて光栄だわ。あなたも私をしつけてみる」
陶芸屋の顔を見下ろしたMが、大きく胸を張って挑戦的に言った。
黒の長いコートからのぞいた足は素足だった。白く形の良い足先が悩ましく、陶芸屋の目の前で息づいている。肌の滑らかさは、毎日こねる愛用の粘土以上だと思われた。品良く揃った両足の指がかわいらしい。その持ち主が「私をしつけて」と誘うように言ったのだ。
見る間に陶芸屋の頬が赤く染まっていく。Mはしばらく間を置いてから、低い声で言った。

「良くしつけるには、お仕置きが必要なのよ。私のしつけが間違っていたのなら、私がお仕置きされてもいいわ」
「いや、間違っていたとは言っていない。唐突な訪問にびっくりしているだけだ」
「迷惑だというのね」
曖昧にうなずく陶芸屋の態度に、思わずMの口元がほころぶ。もう、思いのままに運べるはずだった。
「私の目を見て」
ほころんだ口元を意識して締め付け、冷たい口調でMが言った。

上に向けられた陶芸屋の視線を、Mの目がじっと捉える。しっかりと開かれた陶芸屋の瞳の中に、狂おしく燃え盛る炎を認めた。Mは大きくうなずいてから静かに話し始める。
「私は、あなたに迷惑をかけたのだから、あなたに罰してもらわなければならないわ。寺で会ったときから私はそれを望んだし、あなたも望んでいたと思うの。さあ、私の身体を良く見て」
患者に病状を告知する医師のように言い聞かせ、身にまとったコートを脱ぎ捨てた。

黒いコートが床に落ち、真っ白なMの身体が陶芸屋の目を打った。素っ裸だった。美しい裸身に黒い麻縄が縦横に食い込んでいる。
じっと、食い入るように裸身を見つめる陶芸屋の瞳の中で、燃え盛る熱い炎が陶然と広がっていった。
Mの裸身を走る黒い麻縄は、ほっそりしたうなじの両側から胸元に延び、豊かな両の乳房を菱形に囲んで、ウエストを二巻きした縄目に結ばれていた。僅かに上を向いたピンク色の二つの乳首が、陶芸屋の視線を挑発して揺れる。ウエストの中央から二条、股間に延びた縄が黒々とした陰毛の中に分け入っていた。

「どうぞ罰してください」
Mの声に促されて、ぎこちなく立ち上がった陶芸屋は、よろけるように裸身にすがりついた。
「陽子っ」
喘ぐ声で言った陶芸屋の頬にビシッと、身体を引いたMの平手打ちが飛んだ。
「私は陽子さんではないわ」
Mの大声が陶芸屋の耳を打った。
「悪かった。許してくれ。こうして縛られた陽子の姿を、どれほど夢見たか分からないくらいなんだ」
「私はM。私を縛って。そして、罰してください」
優しく答えたMは、レイバンのサングラスを外し、燃える目で陶芸屋の瞳を見つめた。オレンジ色のガラスの陰から現れた黒い瞳が、陶芸屋を誘ってきらめく。いっとき陶芸屋と視線を絡ませた後、Mは静かに背を向ける。両手を後ろに回し、高々と両手首を背中で交差した。

「本当に縛っていいのだろうか」
当惑した陶芸屋の掠れ声が、背中で響いた。
「高手小手に厳しく縛ってください。ほとんど自分で縛って来てしまいましたが、お望みなら縛り直してください」
裸身を戒めた縄目は陶芸屋が思い描いていたとおりだった。後は、自由な両手を緊縛するだけだ。
おずおずとした手つきで陶芸屋は、首の後ろで束ねられていた縄尻を解いて長く延ばした。
背中で交差した両手首を陶芸屋が縛り上げる。厳しく後ろ手を縛った縄を首縄に通し、両の二の腕を縛した後、腰縄で縄止めした。
菱縄後手縛りに緊縛されたMは、縄目を確かめるように小さく肩を揺すってから振り返り、膝を折って正座した。上手な縛りだった。

肩で大きく息をついた陶芸屋の目の前に、素っ裸のまま後ろ手に縛られて正座する豊かな裸身があった。
その姿は、楚々とした中に凛とした風情が漂う、高度に洗練された白磁の陶風さえ感じさせた。
「あなたの好きなように罰してください」
Mの声が遠のき、陶芸屋は別れた陽子の姿をMの裸身に重ねてしまっていた。


無理やり陽子を縛ったのは五年前、彼女が家を出る数日前の夜だった。
それまで何度も陶芸屋は、妻に縛らせてくれるように頼んだものだった。自分でもあきれるほどに仲睦まじい夫婦だったが、身体を縛らせることだけは、頑として陽子は拒絶していた。
普通のセックスなら、あられもない姿態を見せる陽子が、なぜ縛られることを、それほどまでに嫌うのか不思議で仕方なかった。
しかし、拒絶されればされるほど、陶芸屋の思いは益々強くなるばかりだった。そのころはまだ陶芸も思うにまかせず、その日暮らしのような生活に、嫌気が増すばかりだった。収入のすべてを看護婦をしていた陽子が賄っていたのだ。

まだ道筋さえ見い出せない陶芸の代わりに、彼が自らの自信を見い出せるのは、お互いに優しく寄り添える陽子だけだった。その愛する陽子を縛ってみたい。
縛り上げられた美しい陽子の姿が妄想となって、日夜浮かび上がって来るようになっていた。
その夜、いつものように激しく燃え合った後、陶芸屋は素っ裸のまま横たわる陽子を残して作業場へ行き、用意しておいた麻縄を手にして戻った。

「ちょっと話があるんだ」
布団の上に素っ裸のまま座って話しかける陶芸屋を訝しく見上げた陽子も、起き上がって前に座った。
「お願いだから縛らせてくれ」
手を突いて、頭を下げて頼んでいた。
「何を言い出すかと思えば。嫌ですよ。絶対に嫌だと言っているのに、どうしてそんな嫌がらせをするんですか」
「美しい陽子を縛ってみたいだけだよ。そばにいることを実感したいだけなんだ」
「いつだって私はあなたのそばにいるでしょう。縛り付けておかなければ安心できないんですか。そんなに私が信用できないのですか」
興奮気味に全裸の陽子が抗議した。その、ひたむきさを見るにつけ、陶芸屋の欲望は抑えきれないまでに膨らんでいった。この一途さを縛り上げて、俺の全身の中に入れてしまいたい、そう思った。
「頼む」
一言いって、陽子をうつ伏せに押し倒した。尻の上にまたがって両手を背中で交差させる。用意した麻縄で手首を乱暴に縛る。抗いながら激しく動く陽子の尻が肛門に触れ、陶芸屋の官能を否応もなく高める。

うつ伏したまま後ろ手に縛られた陽子の口から「イヤヨッ」と言うかん高い悲鳴が何度となく発せられた。
隣の部屋からは、幼い修太の泣き声も聞こえてきた。
どぎまぎした陶芸屋は、後ろ手に縛った陽子を乱暴に引き起こす。悲鳴を上げる口に、脱ぎ捨ててあったパンツを丸めて押し込んでしまった。鼻から荒い息を吐き続ける陽子の縄尻を引き絞り、胸に回して乳房の上下を二巻きした。

すっかり緊縛された陽子は急におとなしくなる。横座りになった膝の乱れも気に掛けず、放心したように目をつむったまま、力無くうつむくばかりだった。
スタンドのほのかな明かりに照らし出された、素っ裸で縛られた陽子の姿は美しく、まるで清冽な白磁の花器のようだった。

想像力の中で陽子と一体となった感覚に支配された陶芸屋は、現実を確認したい一心で陽子を押し倒し、猛り立ったペニスを無理に押し入れ、二回に渡って射精した。

静まり返った部屋に、隣室から聞こえる修太の泣き声が響き渡っていた。
縄目を解き「済まなかった」と言う陶芸屋に返事もせず、背を向けて横たわった陽子は、その後一言も口をきかず、数日後に家を出た。

離婚届と短い手紙が陶芸屋の元に届けられたのは、一週間後のことだった。「嫌がる私に、あなたは義父と同じ仕打ちをしました。黙っていた私がいけなかったのでしょうが、察することのできないあなたも同罪です。まさか、あの憎らしい義父が私にしたことを、愛するあなたにまでされるとは思いませんでした。憎みます。私の息子をどうぞ、立派に育ててください。逃げ出した私に子育ての資格はありません」

涙が限りなく陶芸屋の頬を伝ったが、彼の脳裏に浮かぶ陽子の姿は、素っ裸で後ろ手に緊縛されてうつむく、華麗な白磁のような裸身だった。


「どうぞ、あなたの好きなように罰してください」
目の前にうずくまるMがまた言った。
「本当にいいのか」
当惑して、陽子の姿を追い払った陶芸屋の問いに、Mは涼しい声で答えた。
「はい、それが私の望みですから」

身体全体を舐め尽くす熱い炎に焼かれた陶芸屋の、どもった声が部屋中を圧した。
「M、這いつくばって、尻を高く、高く突き出せ」
「はい」と一声答えたMは、膝でにじって身体の向きを変え、高々と交差させて縛られた後ろ手と尻を陶芸屋の目に晒した。
両の膝でバランスを取って双臀を上げ、ゆっくりうつむいていき、頭で床を支える。
陶芸屋の目の下に、股間を黒い二条の麻縄で縦に割られた美しい尻が姿を現す。

「股縄を解いてもいいか」
「すべて、あなたの思い通りに」
こんな事があって良いのだろうかと思いつつ、陶芸屋は屈み込んで股間に手を伸ばした。裸身を縦に割った縄を解くと、大きく割り開かれた股間の深奥で蠢く肉襞と、ヒクヒクと収縮するピンクの肛門が見えた。

これでいいのかと、また陶芸屋は思ったが、覚めた意識はそこまでだった。
壁に掛けた鯨尺の厚い竹の物差しを手に取り、高く掲げた尻を打ち据えた。
「ヒー」と口を突く悲鳴に頓着せず、立て続けに三発、剥き出しの尻を打った。白い滑らかな尻に四条、真っ赤なミミズ腫れが走る。
「口を、口を」と訴えるMに、興奮に任せたまま「猿轡は要らぬ」と応える陶芸屋。もはや、アトリエは官能の作業所だった。

Mは、高く掲げた尻を手酷く叩く竹の鞭に悲鳴を上げ、赤く腫れ上がった双臀を悩ましく振り立てて陶芸屋を挑発する。
鞭打ちの合間に、上目遣いに見た奥のドアの隙間に人影があった。こっそりとのぞく修太の姿が見えた。
汗ばんだ裸身の深奥から響き渡る官能の嵐の音を聴きながら、Mは修太の視線をそっと追っていた。
また、私のステージが始まる。Mはそう確信した。


冷え切ったアトリエの空気を、窓から差し込む早春の日が明るく照らし出した。
部屋の中央に、毛布を被った二つの裸身が横たわっている。Mと陶芸屋の官能の火は夜明けまで燃え上がり、堪能した二人は床の上で寝入ってしまっていた。

深い眠りの中で、突然尻を襲った鋭い痛みでMは目を覚ます。
窓から射す朝の光が目にまぶしい。すぐ目を閉じ、肌寒さを感じて手探りで毛布を探すが、無い。裸のまま丸くなって床に寝ているのだ。

また、尻に痛みが走り、ピシッという鋭い音が耳に響いた。唐突に鞭打たれたことに戸惑い、まぶしさに耐えて目を開け周囲を見回す。
鯨尺の物差しを振りかぶった修太の姿が、視界の隅にあった。

Mは起き上がって修太の前に立った。
物差しを投げ出し、二、三歩後ずさった修太が憎しみに燃える瞳でMを睨んでいる。左の頬に昨晩Mに張られた手形の痕が残っていた。
「復讐しようというわけ。寝込みを襲うなんて、君もなかなかやるわね。確信犯って事ね」

「なぜ、朝までいるんだ」
青いニットのタートルネックの上で、修太のへの字に閉じた口が開き、怒りに満ちた低い声で言った。
頭から毛布を被って床で寝ている陶芸屋を、横目で睨んだ。まだ十二歳に成るか成らないかの、子供の素振りとは思えない憎悪に満ちた態度だった。
「君が見ていたとおりのことを一晩中お父さんとしていたのよ。それで、朝になってしまったの」
修太の頬が見る間に赤く染まった。

「お母さんのために、私に腹を立てているの」
「違う」
「自分のためなの」
修太の小さな頭が、こっくりとうなずく。
「お父さんと私がしていたこと、君は嫌い」
今度は小さく首を振った。
「好きなのかな」
「俺たちのクラスには、祐子しか女がいないからできないけど」と言って、また頬を赤く染めた。遊びはみんな性的なものなのだから、昨夜の官能に子供の修太が興味を持つのは当たり前だとMは思う。

「すると。頬を張られたことが気に入らないんだ」
「本気で打ったろう。俺はまだ子供だ。子供を苛める大人は最低だ」
「ひどく打ったことは認めるわ。ごめんなさい」
見る間に修太の顔に笑顔が戻る。プライドが高すぎる子供なのだ。悪いことではないとMは思った。

「俺にもお前を打たせろ」笑顔を引き締めて修太が言った。
「私の頬を張りたいというの」
「いや、さっきと同じで尻でいい。打たせれば許してやる。打たせなければ二度と許しはしない。お前が好きな方を選べ」
「いいわ。打って。それから、私はM。お前ではないわ」
言い終わったMが修太に背を向け、四つんばいになって尻を掲げた。
ビシッ。物差しの鞭が剥き出しの尻で鳴った。
「ヒッ」と短い悲鳴を上げる。続けて襲う打撃に備えて肛門をつぼめ、尻全体で緊張する。しかし、次の鞭打ちは襲ってこなかった。

「もういいの」と尻を掲げたまま問う。
「もういい。Mの尻は真っ赤に腫れていてかわいそうだ。俺、学校に行く」
ランドセルを背負った修太が玄関で靴を履き、振り返って「行って参ります」と言って外に飛び出した。

「行ってらっしゃい」
素っ裸で四つんばいになって言うには馴染まない言葉だと、声に出してからMは思った。口元に微笑が浮かぶ。
楽しく暮らせそうな予感がした。立って行って引き戸を開ける。
火照った素肌を冷たい朝の空気がなぶった。荒涼とした山塊がすぐ目の前に立ち塞がっている。


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